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なぜ三味線職人になろうと思ったのか

今回はなぜ私が三味線業界に入ろうと思い、三味線工房へ弟子入り修行をすることになったのかという経緯をお話しします。


師匠との出会い

まずは師匠との出会いについてです。最初のきっかけは私の趣味であるカメラでした。大学に入り旅行の思い出をきれいに残したいという思いからカメラをはじめ、写真を撮ったり、動画を撮って自分で編集をするようになりました。

そして大学2年になったころ、旅行の思い出旅行の思い出動画ばかりを作っていた私はもっと本格的な映像を作りたいと思うようになります。そこで考えたのが職人のものづくりの制作工程を動画にするということでした。私は小さいころからものづくりが好きだったこともあり、自分の好きなことと映像を掛け合わせた映像を作ろうと決めました。

そこからいろいろな職人さんのホームページなどを調べ、連絡をさせていただき、映像を作らせていただくようになります。たわしの職人や簾の職人など様々な職人を撮影させていただき、とても良い経験でした。そんな中で現在私が働く、三味線工房に行く機会がありました。

最初に撮影をさせていただいた、兄弟で棕櫚たわしを作る佐柄さん
とっても気さくな方々です

最終的にこの三味線工房に弟子入りすることになるわけですが、実は最初は、あまり良い印象ではありませんでした。

というのも、撮影のために一度話をしましょうということになり、意気揚々と工房に伺ったら、撮影はできないとキッパリと断られてしまったのです。
今考えると、三味線というのは作るのに非常に時間がかかるので、そこまでの時間を撮影に当てられないので、断られて当たりまえだというのはわかります。ただ当時は理由もあまり聞かなかったので、なんでだろうと若干の不満を持っていました(笑)

このマイナススタートから、どういった経緯でここで働くようになるまでに至ったのか、そのきっかけは師匠のこんな一言でした。

「俺はね、三味線という楽器を日本だけにとどまらず、世界に発信していきたいんだよ」

私の師匠

今まで撮影をしてきた職人さんと様々な話をする中で、ものづくりに対しての考えや思いを熱く語る職人が、業界が衰退している、若い職人を抱えることができないなどと、ネガティブな話をするのをたくさん聞いてきました。

もちろん三味線業界もかなりの斜陽産業で、三味線の演奏者は年々減っています。しかし、師匠はその現状に対して諦めるのではなくその現状を打破するための色々な挑戦をしている。そしてその中の一つとして、三味線を海外の人にも伝えたいという目標がある、という話を熱く語っていただきました。

私はその話を聞いて、こんな職人がいるのかとびっくりしました。

結局その日は、師匠の三味線に対する熱い話や、三味線の歴史など様々な話をしていただき、帰宅をしました。


それから数ヶ月して、当時3年生だった私は就職のことを考え始めます。最初は趣味だった映像関係の職につきたいと考え、就活サイトに登録し、インターンにも何度かいきました。

しかし何だかしっくりこないなー、などと将来について考えているときにふと、
「俺はね、三味線という楽器を日本だけにとどまらず、世界に発信していきたいんだよ」
という言葉が頭をよぎります。

さらに、当時神大学で外国語を専攻し勉強しながら、映像を作っていた私は、自分なら三味線を海外に発信する力になれるのではないか?と思うのです。

ものづくりが以前から好きで、自分のやってきたカメラや語学も活用できそう。そしてタイミングのいい出会い。、これはそうゆう巡り合わせだろう、と思い、すぐにまた話をさせていただきたいと連絡をしました。

そしてその際に、ここで働いてみたいという旨を伝え、最初は体験のような形で工房に通うことになりました。
そんな経緯で、大学在学中は大学に通いながら休みの日に工房に通い修行をし、大学卒業後の2024年の4月から正式に工房で働くことになりました。



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