夏も終わりになる頃になってしまいましたが、苧麻帯地の制作についてです。 薄い墨染の上に、ブルー、グリーン系数種類の色合いを重ねて立体感を出しています。ブルー系の色味を何種類か使用していますが、微差過ぎるので、写真で分からないのが残念。 白系の夏着物に合いそうです。 ベースの墨染がしっとりと落ち着いた感じなの年代問わず長くお使いいただけるような雰囲気になりました。 こちらは夏用の帯なので、来季に向けてのご紹介ですが、基本的に誂えはいつでもお問合せいただけます。
引き染めは染める前も後も気を遣う場面が多々ある。 染め終わって乾燥させる時もそのひとつ。 染めた後乾燥していない時は生地に色素が定着していないので生地の中の水の動きに乗って色素が動いてしまう。 なので吊ってある生地が傾いているとそちらに色が寄ってしまったり 部分的に早く乾いたりするとそこへ色が集まってその部分が濃くなってしまったりする様なこともある。 絹はこのような動きが顕著で、特に着物は合い口の色が合っていないといけないのでより気を遣う。 均一にちょうど良い時間で乾く様
暦は大暑。 夏らしい日が続いています。 少し遅ればせながら麻帯が仕立て上がってきました。 地は墨で染め、中濃度のグレー。単色ながらも手績みの麻と掛け合わせが良く、深い味わいに仕上がりました。 存在の厚さで言えば、季節は夏に限らず、春〜初秋にかけ、紬の着物なんかとも相性が良さそうです。現代の気候に合わせた着こなしの提案です。 平凡に見せるということが実は如何に大事なことか、ということが着物にかぎらず様々な文化ごとに共通して感じることが多くあります。 麻もシンプルで一見する
苧麻の手績み糸は硬く柔軟性があまりない。 なので縦、緯糸とも手績み糸で織ると糸同士が密着せず隙間ができる。 この隙間が程良い透け感をだし、見た目にも涼しさを演出してくれる。 のれんだとうっすら覗く向こう側に入ってみたいという気を起こさせる。 縦糸だけ紡績糸を使用した半洋(はんよう)という手織生地もある。織りやすくなり柔らかさもでて見た目も手仕事の味わいはありつつ、少し洗練された感じになるのでこれもまた雰囲気が良い。用途に合わせて糸の太さや種類が変えられインテリアから帯に使
暦は小暑。 しばらく暑い日が続く夏らしい季節ですが、着物を誂える時間軸で考えると、シーズンは秋、冬、もしかしたら年をまたいでのイベントに合わせたり、何年か先の行事に向けてなど、さまざまであると思います。 夏物であっても、来年にはこういった着物を着てみたいなども、あるかもしれません。 注文したら翌日届くような物流システムを考えると、信じられない位に時間がかかることかもしれませんが、誂えるとは、まずは妄想から、しかも様々な可能性を楽しんで想像し描くことから始まるように思います。
今年も当然のように猛暑の夏がやってきました。 着物も気候に合わせ、着用においての決まりごとは柔軟にならざる得ないところです。 「ゆかたがわり」という言葉があります。元々は浦澤月子さんの著書の中で見つけました。 暑い中、おしゃれも大変なので涼しげに気楽に装いましたという着物のことを指します。謙譲の美を感じさせるきもののことと著書にも書かれています。 とても素敵な言葉だと思い、そのように装える夏着物を数年前から作っていますが、夏が酷暑になるにつけ、素材のメンテナンスのしやす
前回も触れたのだけど手績みの苧麻の話。 苧麻や大麻は縄文時代から木綿の栽培が普及する江戸時代頃まで布などの素材としてよく使われた。 正倉院展でも上着や肌着など毎回なにかしら展示されている。 苧麻は現代でも線路脇や土手など身近な所にわりと生えている。 繊維は茎の芯と外皮の間にあり、他の植物の繊維は取り出すのに発酵や灰汁だきをしなくてはならないが苧麻は水につけるだけですぐ取り出せる。 苧麻が広く普及したのはそれらが要因だと思う。 取り出したばかりの繊維は光沢のある薄緑でとて
四十路を迎えたら、着物を見る目が変わったようだ。じわじわくる変化ではなく、急なものである。 加齢によりコーディネートに足し算が増えて、年齢としても許される範囲が広がったのだ、と考えている。 着物は何歳になっても着れるからいいと聞くことがあるが、実はそうでもないことが着てみると分かる。 もちろん何歳になっても着ることができる着物もある一方で、若い頃にしか似合わない、その反対にある程度歳を重ねないと似合わないということもあると思う。 紬の良さがいよいよ身に染みるのも、恐らく身体
麻の季節がやってきた。 現代、麻というとリネンが一般的だが ひと昔前の日本で麻というと大麻と苧麻(ちょま)が主であった。 以前私は麻などの天然の素材や布を扱うお店にいた事があり「手積(てう)みの麻」は好きな素材の一つだ。 「手積み」とは糸の作り方の事で繊維を細く裂いてその端と端をねじり合わせてつなげ1本の糸にしていくというものである。 大麻や苧麻以外もオヒョウ、藤、しな、葛、芭蕉など日本各地で身近な繊維を手積みで糸にして布を織っていた時代があった。 現代では大麻や苧麻も
これから着物を着てみたい方に先に断りを入れておくと、着物は沼であると申し上げたい。 最初は恐る恐る足を踏み入れても慣れというのは恐ろしい。気がつくと足元どっぷり沼にハマっている。 ひとつには自分好みを見つけ出すには時間がかかるというのがある。洋装の好みはわかっても、和装となると、似合うと思ったものよりも、少し斜め上からなど意外性のあるものの方が良かったりすることがある。 反物であれ、仕立て上がったものであれ、実際に顔まわりに当てて確認してみないと始まらない。 まず色に関し
以前の「はじまり」と言う投稿で載せた古い集合写真は75年程前の甲府の連雀問屋街。中心に座っているのが初代の私の曽祖父で、祖父は当時戦争で出兵していたので写っていない。 数年前に道路拡張の為曽祖父の家は取り壊されたのだがその際発掘調査が行われ、それを見に行った。発掘されたのは器の破片やら小銭やらでたいしたものは出てこなかったのだが、地表から数センチ下の所にまわりとは異質の真っ黒い地層があった。気になり、その場にいた専門家にお聞きした所、甲府空襲で焼けた跡という事だった。 平
数年前に黒の長羽織を誂えた。 紋屋にいると言うことが大きな理由の一つかもしれないが、過去に何度も流行り廃りのある黒の羽織を、そうだと知らなければ今の着こなしに目新しく感じたということがあった。 着用する場は限られるが、一つ紋を入れて貰った。 新年や、お祝い事、何かと行事には好んでよく着ている。 黒羽織は面積も広いので、一瞬はっとするようなインパクトがあるが、準礼装というひとつのフォーマットになっているので、飽きがくるものではないのが良い。 一般的に黒羽織を着こなしていた時
我が子が生まれた時、お宮参り用にオリジナルの祝着を作った。 着物自体は小さいものなので柄は入れずぼかしのみでシンプルに、その分背紋を紋屋としてこだわろうと決め、まず日々の服の似合う色の系統から着物の地色は青みのピンク、裾には足長のぼかしを紫で入れ、背紋は定紋の周りを誕生花の待雪草で飾ることにした。 「待雪草は春一番に咲く花で花言葉が希望だなんてとても良いな」とか「花の様子がしおらしくてこんな女性になってほしいな」とか「背紋の花は3輪もすっきりしていて良いが5輪の方が華やか
少しマニアックな話かもしれない。そもそものわたしのデザイン専門分野は商業的な印刷物のデザインである。 染物のデザインをする際、紙と同じ感覚でデザインしてしまうと、どうにも違和感が生じる。 それは何故かと、色々試してきた上で、大まかに理由を考えてみたところ、印刷物は平面的で、布は立体物と考えてデザインを起こす必要があるということだと思う。 先に断りを入れておくと、染色の分野も今は様々な方法があるので、ここでは当店の方法に限った話にしておきたい。 布を染めるということは、生
「紺屋の明後日」とか「紺屋の白袴」ということばがある。 紺屋とは染物屋のことで、両方ともルーズな感じの意味で私にもかなり当てはまってしまう。 ルーズさの原因は私の性分もあるが天候による部分もある。 引き染めの作業は気温と湿度にとにかく左右される。 暑くても寒くても、湿度が高くても低くても良くない。 人が過ごしやすい位が染めにも丁度よい。 ある程度は温度、湿度、染め方を調整してかかるのだが予定通りに進まず遅れてしまう事もままある。この辺りが「紺屋の明後日」の元だと思う。 昔なが
生まれた頃から着物に囲まれ過ごしてきた夫と比べると、わたしは真逆で、30歳を越えるまで日本の文化に意識して触れてみることなく過ごしてきた。 20代は海外への憧れもあり、面白いと感じたのは違いがわかりやすい異文化だった。その頃に少しだけ海外での生活も送ったけれど、海を渡ってからはじめて自分の生まれ育った国に興味を持ったのだと思う。 そんなよくありがちなエピソードの先に、日本の文化のしかも着物のことを考える今の日常がある。 ドメスティックなことが実はインターナショナルだったりす