<連載長編小説>黄金龍と星の伝説 ‐第一章/出会い‐ 第19話
コボルの町 -1
その後サムは、ルイとなかまたちとの生活をともにするうちに、こう考えはじめました。
『わたしの苦しみとは、王であったがためにかかえこんだ苦しみでもあったのだ。だから……どうだ、ここでは、ただの一介の老人にすぎない、のに――、
あー……、このいっしゅんいっしゅんのなんとすがすがしいこと。
なんと感動にあふれ、なんと刺激的なのだ!
もはやわたしは、国を追われた王などという重たい荷物はすてて、
わたしは……、
ただのひとりのにんげんになってこの町に生きよう。
わたは、じぶんをみつけるために……ここにみちびかれたのだ!』
こうしてサムは、人間の心からじぶんを見失わせてしまう〝マギラ〟の国で、
じぶんさがし――、
つまりにんげんさがしをはじめることになりました。
コボル社会の側からみた、高い塔の街にくらす人びとのせいかつはじつに過酷なものでした。
〝マギラ〟の開発は、ときを追い越すように進化のいっとをたどり、小型・軽量化されてゆく〝マギラ〟は、日常生活のあらゆる品々のなかに埋めこまれ、
もはや、外見でみわけることができなくなっておりました。
ルイは、なかまうちの〝マギラ〟の持ちこみにたいしてきびしい制限をもうけ、
ルールにしたがわない者には、
罰則として、きつい肉体労働と勉学の義務を課しました。
そのためルイのグループには丈夫で勤勉な人間がふえてゆきました。
――がいっぽう、高い塔の街にくらす人びとにとってのルールは、そうではありませんでした。
高い塔の街では、〝マギラ〟によって生みだされる物質的、経済的にゆたかなもののみを幸福とする考えが蔓延し、
人びとは、このあきらかに目にみえる価値を求めて、
他人をかえりみない行為へと駆りたてられてゆきました。
〝マギラ〟の開発競走に敗れるということは、即、社会生活からの落伍者とみなされ、
人びとは、このレッテルにおそれおののき、いのちを削りながらも、
〝マギラ〟の開発競争に身を投じなければ、生きてゆくこともままならない状況でした。
〝マギラ〟は、
人間の心のなかから涌き上がる尽きることのない欲望を掴み取ると、
煌めく光と音をまとわせて、
つぎつぎに、目に見えるかたちに現して見せました。
そのため人びとは、
『目に見える物こそが、人間にしあわせをもたらす唯一の現実であり、
見えないものとは、
現実と呼ばない、
ゆめまたまぼろしのことである――』
という、社会通念をつくりあげてしまいました。
しかしこの『目に見えるもののみが、現実である!』
という考えには、
『現在、見ることはできないが、
……のちに識ることになるであろう未知のことがら』を隠す力がひそみ、
現実の生活には表れては見えないそのぶぶんを、喪失させました。
その部分とは――、
自分をみつめ……思慮する力となる。
過去をみつめ……未来を見通す力となる。
いわば「人間性」の育まれる場所でした。
このように、
人びとがいつのころからか見失いはじめた、
過去にえがく人間像と、
未来にえがかれる人間像は、
加速度をましながら、
〝マギラ〟の画きあらわす可視的像におきかえられてゆきました。
こうして、高い塔の街では、
〝マギラ〟の生みだす目に見える成果としての数式的像がランクづけというかたちで階層構造に反映され、
一旦落伍者とはんだんされた時点で、
社会的地位をしめすSTカード(status card)にコードが埋め込まれ、
生活全般にわたってそのような差別をうけなければなりませんでした。
そうなると、就ける仕事もかぎられて、
ふたたび上のランクへもどるためのさらなるきびしい競走に身を曝してゆかなければならず……、
そのために、目に見える豊かさのみを追いもとめる競走社会では、
上の階層へ上がるためのさまざまな手段があみだされ、
それが知恵とよばれる商品になって売りさばかれてゆきました。
――しかしこの知恵は、
競争に勝つことだけを目的としたために、
敗者ばかりをつくりつづけ、
「人間失格」なる烙印までこしらえることになりました。
人びとが、
長い歴史の中に培ってきた精神的財産ともいうべき心の目は失われ、
社会のルールは、軸のない独楽のようになって乱れ、
つぎつぎにつくりだされる価値観を――、
目新しさをうしなったところですぐに棄て去りながら、
知恵は、
たがいの生きのこりをかけた競い合いをどこまでも激化させて、
人びとのこころを、足場のない崖っ縁へと追い詰めてゆきました。
こうして知恵は……ついに、
自らを問う者を、
おろかものと嗤うようになりました。
こうしてすすんでゆく社会現象は、
人と人とのこころの隙間にまで侵入し、
人は、
人と接するあいだの一時も、
こころの休まるじかんをもてなくなり、
しかし一方では、こうした問題をもちこまないための新しいコミュニケーション手段も考えだしました。
……が、
そのシステムにしても、
一時、こころの煩いからとおざけてはくれても、煩いの元をとり去ることにはならず、
やがて新たな禍となってふりかかると、
……人びとは、
『人間のこころのへだたりには、
越えがたいなにものかがあるのだ』
というあきらめとともに……、
みずからの歩みを見えない暗がりの中へと沈め込めてゆきました。
このように、人は人のなかで疲れ、
こころは孤立化してゆきました。
こうして、街の生活につかれ、
傷つき、病み、闘うことのできなくなった者のたどりつく場所が、コボルの社会でした。
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