<黄金龍と星の伝説> ‐第一章/出会い‐ 第6話
見知らぬ国の王様 -2
『シン、自分の身に起こるすべてのことにかんしゃのきもちをもちなさい。
それはみんな、神様が、おまえのために用意してくださることなのだから……』
と、おじいちゃんのことばがよみがえり、
シンは、
『そうか! ひょっとしてこのじいさん、じつは、舞台役者かなにかで、
王様を演じている最中にとんでもない災難に遭い、そのまま難を逃れてここまでたどりついたのかもしれないし……、
いやいやそれとも、物乞いの王様に扮して客寄せチラシを配っている最中、
とつぜんいやになって逃げだしてきた……とか? ……そんなことはないか、』
などと勝手な想像をめぐらせました。
そんなシンのようすを、老人はしずかな眼差しでみつめておりました。
「しんじられませんか?」
老人は先ほどよりなめらかなことばでそう言うと、
また、口もとにうつくしい笑みをつくりました。
そのまなざしが――、
この、いまのだらしない生活をしている自分とはまるで違い、
たとえるなら……、
険しい山のなかにあって、だれも近づかない湖の、どこまでも透明な、光も届かない水の中をのぞき見ているような……、
そんな底なしの深さでした。
シンは、自分をみつめる眼差しがあまりにも澄んでいるので、嘘ではなしているのではないのかもしれない。と思いました。
「わたしは……、もう、ながく、ありま・・」
そこまで言って、老人ははげしく咳きこみ苦しそうでした。
「あ、あ、わかりましたから、もうそれいじょう喋らないでください。
――今、お医者さんを呼んできます!」
あの日のお祖父ちゃんを思い起こして立ち上がろうとしたシンの手を、老人は渾身の力で掴み止めました。
「お、おねがい、です。はなし、を、はなし……!」
老人は、なおも苦しそうに咳き込みながら、
「み、みず…… 水をください」
と言いました。
「は、はいっ!」
シンは台所にはしり、なみなみになるまでコップに水を注ぎ入れて、老人の枕元まではこんで、枯れ木のように痩せ細ったからだを抱きおこし、
そっと、口もとまで持っていってやりました。
老人は、コップを持つシンの手に震える両手をそえると、つつみこむように握りしめて、口もとまではこんで、ゴクリ、またゴクリと、わずかの水をおおきな音を立てながら、たるんだ皺の喉の奥へと流し入れました。
そうしてわずかばかりの水を飲みおえると、老人は、シンの手に被せていた掌をゆっくりとほといて、シンをみつめて、ひとつ頷きました。
シンはまたゆっくりと老人のからだを寝台の上に横たえてやりました。
「ありがとう。たすかり……ました」
老人のことばは先ほどよりなめらかになり、その目にも力がかんじられるようになりました。
「どうか、はなしを……。
はなしをさせてください」
そう言ってみつめる老人に、シンはうなずき、近くにあった椅子を引いてきて、前かがみ身体を寄せました。
「わたしの名は……」
老人はそこまで言って、
「サム。
……わたしは、サムといいます」
と、持ちあげた震えるゆびさきを、
膝の上にあったシンの手にかさねて、
「あなたの名は?」と訊ねました。
「はい。シンといいます」シンはすぐに応えました。
サム老人は、目をとじると、
その名をなんどもなんども口もとにつぶやきながら、
そして瞼をひらいて、
「よい名、ですね。
わたしにも、孫があります。
おとうさん……、おかあさんは?」
シンは一瞬とまどいましたが、
「母も父も亡くなりました」
と正直にこたえました。
サム老人は、
「おお……」
とことばをつまらせ、その掌を両手に取って、
「おきのどくに……」
と、またやさしくあたたかなまなざしでシンをみつめました。
シンは首をふり、サム老人の気遣いにこたえました。
シンは、老人の乾ききったカサカサの掌にさわられながら、
しかしどうじに、身近ななにかも感じておりました。
それはあの……、門柱の上に飾りつけた、二匹の獣の彫られた銅鏡をさいしょに手にした、そのときの感触に似ていました。
するとふいに、
「シン。
わたしは、ここへみちびかれたのです――」
と、老人は告げました。
それが昨晩、サム老人が訪れたそのときに、おかあさんの面影といっしょに入ってきた、
あの、なんともたとえようのないにおいのたちこめる、おなじ場所から聞こえてきたかのようで、
――とどうじに、
「シン。神様が運んでくださるものにはのー、人の知恵ではおよびもつかない、ふかい、ふかい、めぐみがかくされているんじゃ」
と、お祖父さんのことばがよみがえり、
『あれは、この老人のこと――⁈』
と、全身の毛が総毛立ちました。
「シン、あの入り口の……」
と、サム老人が口にしたとき、シンにはそれが、老人が地面に横たわりながら指差した、それ、であるとすぐにわかりました。
「ああ、あの銅鏡ですね」
シンが躊躇なくこたえると、
サム老人はうなずき、
「識っていますか?」
と、シンのひとみの奥をのぞきこみました。
シンは、銅鏡のその謂われについては何もしりませんでした。
シンは首をよこにふりました。
「シン、あの鏡の裏に彫られている二匹の龍は……」
と、はなしはじめたサム老人の目から、
まるでシンのこころを射貫く、鋭い矢のようなひかりがはなたれはじめ、
そのあまりの強さに、
「あっ、はい!」
とシンは、
おもわず丸めていた背中をピッと伸ばしました。
「……あの二匹の龍は、
にんげんのすがたをあらわしているのです」
その、思いがけないことばに、
「に、に・ん・げ・ん、ですか?」
シンは、龍のすがたと自分のすがたをそこに重ねて、意味する内容を探して部屋のあちらこちらに目をおよがせました。
「シン。すがたとは形ばかりをいうのではありません。
それは目には見えない、
人間のこころのようすをあらわしているのです」
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