<連載長編小説>黄金龍と星の伝説 ‐第三章/銅鏡の秘密‐ 第56話
ゼムラ一族の過去 -1
ゼムラは、その取り巻きのほとんどを〝マギラ〟の国からやってきた一族の者たちで固め、その下に、他の一族を従わせるかたちで組織を形成しておりました。
そのゼムラ一族には忌まわしい過去の歴史がありました。
ゼムラは幼い頃より、父と母、そして祖父や祖母から、この一族に受けた受難の歴史を聞かされて育ちました。
遡ること、それはゼムラの先祖の時代――、
ゼムラの先祖は、もともとはこの国に棲む先住民族であり、
ゼムラの家系は領主として長らくこの地を統治しておりました。
その国には古の神が祀られてあり、
国でもっとも重要な行事である年に一度の大祭の日には、
神より下るとされる律法が、
祭司の口を通して人びとのもとへと届けられました。
ゼムラの先祖は、領主でありながらこの律法を司る祭司をも兼ねて務めていたため、
その力は絶対的でありました。
ところが……、
光に照らされた人間の姿が影を作るように、
神のお告げである律法に照らされ作りだされた祭司と一族の影は、
神聖な姿を纏うと……、
まるで神の権化のごとくにふるまい、
神への畏れを抱く人間の心のよわさを鷲掴みにつかんで、思うがままに操ってゆきました。
この律法にさからう者は磔火炙りの刑に処せられ、咎める者は、ことごとく粛清されてゆきました。
しかし、この長らくつづいた独裁にたいして異議をとなえる者たちが、時の流れをまってやってきました。
その一派は、
国と国との戦いに敗れてこの地に逃れきた人びとでした。
この人びとは、この土地の豊かさを見て、この国に住みたいと望みました。
しかし、土地が豊かでも、住む人たちに豊かさを享受できる自由も権利も与えられていないことを知ると、
『この国で、人びとがしあわせに暮らしてゆくためには、
なによりもまず、
人びとの心を縛り、自由を奪っているそのおそれを、取りのぞくことからはじめなければならない。
しかもそのおそれは……、
祀ってある神のもたらす畏れなどではなくて、
そこに身を隠して行われる、祭司と一族の独裁政治によってもたらされる恐怖であるのだから、
その権威と権力の化けの皮さえ引き剥がしてしまえば、だれもが……、人間の本来のすがたに立ち返り、
生きる権利を求めて立ち上がり、
国の力を一つにして、
理想の国造りを行ってゆけるにちがいない!』
――と考えました。
この一派を率いたリーダーこそが、サムの先祖でした。
そこでサムの先祖と一派は、年に一度ひらかれる大祭を利用して、祭司と一族の力をこなごなに粉砕する計画を練りあげました。
この大祭の儀式には、きまって一頭の子牛が生贄として供えられました。
『生贄は、神聖な火に焼かれることで神に捧げられ、
神聖なことばが、祭司の口をとおして人びとのもとに降る』
と――、されました。
リーダーであるサムの先祖の計画は、
『もし、生け贄を燃やすために点けられた火が、自分を焼くほどに燃え上がったとしたら、
祭司はそこに、
いったいなにを思い描くであろう?
それが……、神聖な力と映れば、
その場に竦んで動くこともできまいが、
そこに……、己の阿漕を見てふりかえってしまえば、
とたん、巨大化された炎におののき、
祭司は……、とっととその場を逃げだすだろう。
そのときに民衆は、逃げ惑う祭司を見て、
『祭司の力などおそれるに足りない』
ことと、悟るであろう。
しかも炎が、神の怒りであったとすれば、
民衆は、それを盾に立ち上がり、
溜めにためた怒りの矛先を祭司と一族目がけて一気に突きだし、
権威の纏いなどたちどころに切り裂き、
権力の剣などもへし折って、
独裁を、ものの見事に打ち毀し、
あらたな時代の幕開けを告げることになるだろう!』
――というものでした。
その計画は、戦い敗れた自分たちの姿をそこに重ねて、
できるだけ、犠牲者を出さずにすむ方法として考えだされた戦術でした。
『力と力をぶつけあえば、かならず多くの犠牲者を出すことになる。
力によって奪いとったものは、例外なく、力によって奪い返されてしまうのだから。
わたしは……、二度とおなじ過ちはくりかえすまい』
と、心に誓った、
苦い思いをふりかえりながら。
大祭の前夜――、
リーダーの計画どおり準備のととのった祭壇に忍びこんだ男たちは、
生贄を燃やすために積み上げられた、大釜の中の薪の上から、持ってきた油を注ぎはじめました。
ところが――、
油の量を決めたリーダーの指示にもかかわらず、薪の下の大釜のことを知らずに、
『大地の吸う分も考えねば』
と、判断した男によって用意された二倍の量の油が、のこさず、釜の中へと注ぎ入れられてしまいました。
祭壇のまわりにはすでに油に浸された松明が用意されていて、
薪に染み込んだ油の臭いは、
松明の油と一つに溶けあってゆきました。
そして大祭の日――、
この日は、まいにちまいにちが過酷な労働に追われ、貧困ににあえぐ人びとにとっての、年に一度だけおとずれる特別な一日でした。
国中の人びとに、食べものや飲みものや衣服や金銭など施しものが配られ、
なかでも籤でえらばれた者たちは、神様の祀られた山の麓へと招かれ、手にしたこともない大金と、各地でとれた特産品や拵え物、
それに料理や酒や菓子や飲みものなどなどが大盤振る舞いされました。
参道には、煌びやかに飾られた店がすきまなくならび、
神様や人形を模った品物や祷りの道具などがところせましと広げられ、悪霊や神様の噺を見世物にした小屋なども並んでおおいに賑わいました。
こうして人びとは、
一年の苦しみからいっときはなれて、
一日だけの自由と贅沢を大いにたのしみました。
そんななか、
生贄の供えられた山上の広場は、整然とならべられた席をうめつくす、
神への忠誠をちかいあう人びとの熱気にあふれ、
人びとは、椅子においた尻を上げたり下ろしたりとおちつかないようすで、
祭司の登場を今か今かとまちこがれておりました。
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