<前一期>
‐1987~1995年頃‐
ある方より、
「キミは愛のつもりでいるのかも知れないが、ここにある色と色とは噛みつきあい、殺しあっている。ボクに言わせたら、ここは墓場だ。」
と言われた。
色とはなんなのか?……という問題にぶつかると、突然色を使えなくなった。
色を使うことが怖くなった。
しかし、ここから色を色として識るための出来事が始まったのだ。
それは、自分の大好きな色を、人にとって豊かなものにできるようにして行く、始まりであるのかもしれない。
大好きな色が使えなくなることで、逆に見えてくる豊かなものもあるだろう。
それが見えれば、色を通して感じている“もの”の本当の姿が、より明らかになるだろう。
きっと人は、そういう好きなものを通してしか“もの”をみれないのだ。
つまりそれが自分なのだろう。
だから自分は、あらゆるものの本当の姿を識るために透明にならなくてはならない。
色の向こうにある本当の姿を探す。
自分に染まった色ではなく、色の本当の姿を探す。
しかしそれは、どこにあるのだろう……。
こうして、色を訪ねる旅が始まった。
アルプスは透明な空気と光で迎えてくれた。
ここでは、地上的などろどろとした重さを洗い流してくれた。
そして、ここで考えることはどこか地上的ものに縛られない
軽やかさがあると感じた。
しかし、同時にそれは、
自分の足元を見失うことにもなる。……と、
窓越しに見た夜の空
油絵が描けなくなってインスタレーションという表現スタイルを試みた。
色で表現できないものが、素材の中から顔を覗かせる。
2~3年目に、赤い色がまず現れた。
意味などは解らなかった。
色を抜いた絵の中で一番気に入っている絵。
しかしこれはまだ自分の表現にはなっておらず、借り物に過ぎない。
自分の表現…
一番やりたいこととは、一番難しいことなのかもしれない。
八つの災難に遭っていた頃の自画像です。
お見苦しい処をお見せして申し訳ございません。
生き甲斐となっていた銀座のギャラリーでの活動では、様々なカルチャーショックを体験させて頂きました。
その中の一つ〝即興演奏〟を故郷の展覧会でお披露目しているところ……
といいたいのですが、実はどこで止めようかと冷や汗をかいているところ。
だれかとめて……
男と女が抱いているのは石です。
その上に、花をおいてくれた人がいた。
自分の背後にあるもの
行き詰まった自分
色彩の魔力
色の中のバランス
男と女を隔てる見えない壁
愛したいのに愛せない……
愛したい……
人間でありたい……
自分の中の救われないもの……
わたしの一番愛するもの……
未熟である自分は、まず自分を知らなければならなかったのです。
この最愛と思っている自分の本当の姿を識らなければ生きて行くことになんの意味も見いだせないと思ったのです。
ひょっとしてこれは病気?
自分とは一体何なのだ?