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レコードを(20年ぶりに)ディぐりながら考えた.

みなさんは音楽をどうやって聴いてますか?いまの学生世代はほとんどがストリーミングでしょうか.いやいや学生世代に限らず今は多くの人がストリーミングかもしれませんね.もちろんCDという人もまだいるでしょうし,年配の人の中にはアナログ(Vinyl/ヴァイナル)レコードのコレクションが現役(ジャズ・バーやクラシックがいつも流れているカフェのように)だよ,というケースもあるのではないかと思います.面白いことに実際のところ,いま再びアナログ熱が若い世代を中心に世界的に高まっているらしく,人気のミュージシャンの新譜はアナログもリリースされることが多いという,ある種の揺り戻し的な現象も起きています.その現象について,超個人的な視点で考えてしまいました.

アナログレコードとは現代にとって何なのか

レコードを生産するためのマシンというのは一時世界的に瀕死の状態だったのですが,このブームに乗じてまた稼働率が上がったり,もっと簡単に生産するための技術開発も行われているようで,このあたりの動きを掘っていくだけでも一日楽しめそうです.原盤製作のためのラッカー盤って今日本に唯一生産工場があるんだそうです.すごい.

いちばん上の記事は英国ガーディアン紙の記事ですが,アナログレコードの復権は,タンジブルなものがもたらす「儀式」つまり,溝に指が触れないよう気を配りながらレコード盤をスリーブから取り出して保持し,プレーヤーの上にやさしく置き,カートリッジを指で持ち上げてそっと針を盤面に落とす,というような身体的な行為が「聴く」ことに能動性をもたらすという考察を展開しています.そして,それは他の「かつて衰退したものの復権」との共通点を指摘しています.例えばポップアップ的な小さな書店が本の魅力を再発見するハブになっていたり,コーヒーマシンでなくフィルターで淹れるコーヒーがよりゆっくり味わう気分をもたらすことなどもアナログレコードの復権と同じ文脈を持つのではないか,というわけです.

不便なことが改善される過程で無くしていくもの

確かに,物事が手軽になることによってそれまで当たり前だった行為が煩わしく不要なものに感じられ,敬意が払われなくなるのは効率化や合理化の名のもとに結果を最短距離や最小限の労力で得るためのプロセスとして避けられないものかもしれません.手紙を送ることが減り,仕事場でも紙に出力することすら減り,いま私たちは何ならデバイスひとつとネットワークさえあればデータのやりとりで殆どのことが足りる世界に生きているわけですから.

基本的に僕は自分のことをどちらかと言えば合理的なほう(家も普段出歩くのも持ち物は少ないうえ,物事は最小限で最大の効果が得られるのを美しいと思うタイプ)だと分析しているのだけど,その一方で身体と時間の使い方がその対象との親密度(とか享受する喜び:Joy)と密接に関係していることはとても納得できます.確かにこの時代,わざわざレコードで音楽を聴く,という行為や,ゆっくり豆を挽いてフィルターでコーヒーを淹れるというのは自分の時間への捧げもの,という価値をもたらしてくれるように思います.ひと昔はそれが当たり前のことだったにもかかわらず.つまり,失われたからこそ意味が生まれてきている,ということが現象理解の要点のような気がします.

アナログレコードの何が不便だったのか

ところで,レコード盤はモノだから物理的な制限があります.録音できる時間はCDの74分よりももっと短くて片面長くても25分程度.ちなみにCDの74分というのはその製造技術で世界としのぎを削っていた日本の企業の社長が,ベートーベンの第九をまるまる録音できる長さ,で決めたという噂があります(諸説あるようです)が,レコードの場合は12インチ(約30センチ)がいわゆるLP(ロングプレイ)と呼ばれるもので,ここで話しているレコード(7インチ,10インチという規格もある)の最もスタンダードな形式です.逆に言えば,その制限が音楽愛好家にとっては一つの壁でした.できるだけ長く聴いていたい人にとっては,25分ごとにレコードを裏返したり取り替えたりして再生するのは煩わしかったはず.昔はレコード再生はあまりにも日常的な行為としてはセンシティブなので,だいたいみんなカセットテープに録音してそれを普段は聴いていました.カセットは扱いが容易だし,コピーだから何かあればまた録音すればいい,という気軽さがありました.アルバムによっては90分カセットで片面に一枚のアルバムを録音してノンストップで聞けるのも良かった,そういう,長く聴くためにどうするか,という問題があったんです.

CDプレイヤーが登場したときは音楽のデジタル化でした.小さなディスクに収めるためにデジタル化され,非接触の読み取りで音楽が再生されますので,レコードには発生しやすいプチプチというノイズすらなくなりました.収録も先に述べたように74分に伸びた.それでも,1枚ごとにCDを入れ替えないとずっと音楽を聴き続けるわけにはいきませんでした.メディアとしては「モノ」ですので.それでも,何十枚もCDを入れておいて,ジュークボックスのように連続再生するCDプレイヤーも高価ながら存在していて「あーこれがほしいなー」と思ったことを覚えています.

それが,2001年,iPodの登場で世界が一変しました.この時初めて,音源そのものが「モノ」から乖離しました(表現合ってるかな,笑)音楽パッケージそのものがデジタル化されたわけです.これはもう,ほぼエンドレスで,しかも好きな曲順で再生できるという,まさにアナログとデジタルがどう違うのかを体現したような製品でした.そしてそこを境にして一気に世界の音楽はデータに移行していきました.Apple Music や Spotify といったストリーミングの登場です.アルバム,という概念が(残ってはいるものの)消失寸前で,最近では一曲の時間が短いことがヒットの要因になってきています.端折りましたが,メディアやプレーヤーによって人と音楽の関係が随分変化していくことにあらためて気づかされますよね.そうなるとウォークマンの話は避けて通れない気もしますがそれはまた別の機会に…

昔からミックステープを作ることに親しんだ僕にとっては,音楽が一曲ごとに手に入る環境はまさに夢の世界を体現したものでした.このようなことはアナログ・レコード(もちろんカセットでもCDでも)起こりえない画期的な変化だったのです.

ここで,人類の歴史上はじめて,録音された音楽が延々と自由な曲順でプレイすることができる環境が生まれたのです.

選択肢が増えるという豊かさ

音楽がデジタルデータになり,iPodが世に出て25年近くが経過し,面白いことに絶滅すると言われていたアナログレコードが再び売り上げを伸ばしています,しかも世界的に.これは音楽の聴き方という視点で見ると,選択肢が増えているということです.さらにアナログレコードとCDとの違うは何か,ということになると,デジタル技術で圧縮された音源なのか,生の演奏を媒体の許す限り高品質に記録した接触型のアナログ音源なのか,という違いくらいで,一般的なヘッドフォンや家庭用の機材で再生する限りにおいてはよほどの拘り屋さんではない限り体験としては似ているのかもしれません.あるいは,アナログレコードのノイズを含めた温かみ,みたいなものを欲している人もいるのだと思います.手間がかかることが贅沢である,というロジックですね.ガーディアン紙の指摘している通りです.下の記事には英語ですけどひと目でどれだけV字回復しているかのグラフがあります.この記事のグラフによると,新譜に限ってのことですがCDはアナログレコードの1/3以下のセールスになっています(逆に次はCDの波が来るかも?)

CDにせよアナログレコードにせよ,聴き手はアルバム(パッケージ)としての音源を楽しむこともあれば,ストリーミングでお気に入りのプレイリストを再生することもできる,という選択肢があることが豊かなわけです.仕事や音楽のBGMのためには延々とストリーミングで音楽を流せるし,アナログレコードでお気に入りのミュージシャンのこの一枚を楽しむ,ということが自由に行き来できるのですから.

パッケージされたものが持つ価値

そして,CDとアナログレコードを比較した時に,リセール市場を考えると,アナログレコードの希少性みたいなものがまた価値を高めることになります.販売当時は2500円程度だったレコードが,いまの中古マーケットでは何万円もする,ということだって起こっています.「レア盤」という呼び方があるように,需要と供給がもたらす価格の変動が起きます.古書なんかと同じです.オリジナルが高い,第1刷のものがより価値がある,という世界です.これが音楽好きにはなかなか厳しいもので,経済的な余裕がある人かない人かでそれを手に入れられるかどうか,ということが生じます.ああ,さすがにこれは手が届かない…というアナログ盤があるわけです.(もちろん,ストリーミングであればそんなお金はかからないので,その意味でも選択肢があるって幸せではあります)そして,自分が欲しいアルバムが宝物になるわけです.

また,すでに良く知られている「名盤」に高い価値が付きます.名盤は何処かで評価されているから名盤なので,すでに誰かがレッテルを貼っているわけです.著名な選曲家がセレクトしていたり,影響力のある雑誌で取り上げられていたり.グラミー賞やそういう類のもの,そしてカルト的な人気があるもの.CDにはある程度安定した供給(再プレスが簡単)ができるのでアナログレコードほどの高騰は少ないです(それでも絶版になったものは高値で取引されます)そして多くの場合,そのような既に価値が出来ているレコードには高値が付きます.

遊びでDJをしていたころ,山下達郎のLPレコードは当時300円のバーゲン棚で売っていました.手元にはMelodiesがあるくらい.それが今や世界的なシティポップ人気でオリジナルは数万円するものもあって高騰しています(山下達郎のアルバムは最近再販されてやや落ち着いているのかもしれませんが)

そして再びアナログレコードと出会うこと

いまの若い世代が経験できないこととしては,僕らの世代(若い頃レコードで音楽を聴いていた世代)には「いま再びあのアルバムと出会う」という楽しみがあります.90年代以前の音楽に親しんだ世代ですね.当時は欲しいアルバム全てを買えないので,レンタルレコード屋で借りて,カセットに録音して聴いていました.そして,いつの間にかそのカセットも手元に無く,という僕のような人が,中古レコード屋さんで当時の愛聴盤に出会うと「見つけた!」となるわけですね.あとは財布との相談… 宝探しなんです.

現代の良い音楽と出会うにはストリーミングの方が相当便利です.アルゴリズムでおススメもしてくれるわけですし.逆にアルゴリズムから外れている「こういうので新しい刺激はどうですか?」なんてことも言ってくるわけなので.コスパでいけばストリーミングの方が圧倒的にいい.それでも,ふとレコード屋に行くといわゆる「ジャケ買い」みたいなことも起こる.中の音楽は良く知らないけど,スリーブ(ジャケット)でピンとくるものを買ったりする.まぐれでその中に気に入る曲があればさらにハッピー.安っぽいスリルを味わえたりもする.これは若い世代でも起こり得るのかなと思います.

最近,僕が久しぶりにレコード屋を巡ろうと思ったのも,好きなミュージシャンの好きな曲が入っているかつてよく聞いたアルバムに手が届くのであればレコードとして手元に置いておきたいな,と「ストリーミングで聴き直して」ふと思ったことにあります.そういう意味で,ストリーミングが欲しいアナログを探す旅のきっかけを作ったわけです.

中古レコード屋で目当てのレコードを探すことをディぐる「掘る」と言います.棚に入っているレコードを両手を使って少しつまみあげ,次から次にジャケットを確認しては棚に戻す作業が何かを「掘っている」作業に見えることと,宝物を掘る,というダブルミーニングから来ていると言われています.先日の広島への帰郷の際に立ち寄ったレコード屋で出会えた宝物が上のカバー写真のもの.ここしばらくいろんな街に行くたびにレコード屋があれば寄り探していた1枚.僕の手が棚にある数多のレコードからこの辺りにあるかなぁと1枚1枚引き上げながらこれをつまみ上げた瞬間の「あった!」という感激…これが醍醐味です.1983年にUKでリリースされた,Ben Watt の North Marine Drive です.ストリーミングでいつも聞いている音楽にもかかわらず,ひと通りの「儀式」を経て聴くアナログの音質は一味違う(感じがします,元の値段より3倍近くしたのですからこう思いこむことが大事なのです)
きっと当時のイギリスで誰かがこのレコードを同じように針を落として聴いていたんでしょう,そう思うと愛しいではないですか.

そんな感じで,ノスタルジーと経済のクロスポイントとして,中古レコード屋さんは何か今の僕には面白い場所なのです.




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