最後の一葉を吹き飛ばす【#第62回whrワンドロ・ワンライ】
「あーあ、私にもベアマンさんが来ないかなぁ」
「なにそいつ。熊人間?」
びゅうう、と窓から病室へ強い風が吹き抜ける。カーテンがぶわりと膨らみ、窓際のベッドで体を起こしている線の細い女性の姿を一瞬かき消した。その隣のベッドをあてがわれている矢後は、寝ころんだまま退屈そうに彼女へ相槌を打つ。彼女は薄いレースカーテンをさりさりと開け矢後へ向き直った。
「私を助けてくれるヒーロー。『最後の一葉』って話、知らない? ほら、丁度あそこに葉っぱの少ない木が見えるでしょ」
彼女が指さす先、窓から見た先の景色の中には数枚の葉っぱをつけた大きな木が佇んでいた。強い風に吹かれながらも、みな懸命に木の幹へしがみついている。彼女はどこか冷たさを含んだ声色で、しかし楽しそうに話を続ける。
「今はあと五枚。この、最後の一枚が落ちた時には私の命も……ね? スー」
「それも誰だよ。俺はそんな名前じゃねえ」
「そっか、知らないか。この話はね、私と同じように重い肺炎を患った女の子が、窓から見える古いレンガの家に這った蔦の葉っぱを数えて『最後の一枚が散るとき、わたしも一緒にいくの』ってぼやくお話だよ」
「熊でてこねーじゃん」
「ふふ、ベアマンさんはね、その女の子の為に——」
そこまで話したところで、彼女は突然大きく咳きこんだ。げほげほと息を吐き、ひゅうひゅうと喉を鳴らしながらどうにか息をしようと苦しむ。何度聞いたか、そして何度自分自身から発されたかもわからないその音になんとなく嫌な気持ちになりながらも、矢後はナースコールを押してやった。
「……とりあえず応急の処置は出来ましたが、あんまり喋らないで、今は大人しくしていてください」
経たずしてやってきた看護師は冷静に処置を施し、彼女へ優しく声をかけていた。
「今夜は嵐の予報です。貴方は気管支の持病も患っているんですから、今日一日は薬を飲んで、吸入器を必ず枕元に置いて安静にしていてくださいね」
彼女は声を出さず、こくりと頷く。それから『ありがとう。そういうわけだから、話の続きはまた今度』と書かれた紙を矢後の方へひらひらと見せた。
「おー」
適当に返事をして矢後は再びベッドへ横たわり、ぼうっと天井を見上げた。
先程の調子から察するに、たぶん熊人間が肺炎の女のために何か行動を起こした結果女は助かる、とかそういう話だろう。葉っぱについてはよくわからないが、わざわざそこまで考えるのも馬鹿らしい。
自分のことなのに他人任せで解決しようとする、その考え方が矢後は気に入らなかった。自分の運命は自分で掴んできた彼だからそう思えるのだろう。熊人間になんて頼らず、葉っぱなんて気にせず、自分を頼りに生き延びようとすればいいのに。そんなことをぼんやりと考えているうちに、彼はいつの間にか眠りについていた。
◆◇◆
それから数日たったある日、矢後はひとつのベッド越しに窓の外を見ていた。先日の嵐で例の木からは葉っぱが全て吹き飛ばされていたが、依然として木の幹はどっしりと地に足をつけて背筋を伸ばしている。
結局話の続きは聞けずじまいだったが、彼は対して気にしていない。むしろ、彼女の辿った道筋を当てはめて補完することで、逆に満足すらしているだろう。
——彼女は嵐の翌々日、とびきりの笑顔とともに退院していった。
〈了〉