ヒーローよ永遠なれ!【北村倫理誕2023】

 かちり。枕元の時計の音で目が醒めた。時計の針は二本とも真上を指しており、辺りは静寂に包まれたままだ。寝ぼけて一瞬自分がどこにいるのか分からなくなったが、実家とは明らかに違うサイズの個室が目に入り、ここが合宿施設であることを理解させられた。

 だんだん頭が覚醒してくる。そういえば明日は俺が早朝パトロールの担当だったな、今日合宿施設に泊まっているのは白星の中では俺だけだったな、明日一緒にパトロールするのは……倫理だったな。
 あいつはきちんと寝ているのだろうか。たまに妙な時間に活動し出して、猫のようにするりと密かに身支度しているのを見る。明日のパトロールの集合時間に遅れられては適わない。いや、あいつのことだから寝坊はしないだろうが、寄り道したりしてきちんと定刻通りに来ないこともある。俺は「水を飲みに行きたい」なんて大義名分をこさえつつ、連理叔父さんの忘れ形見の様子を見に行くことにした。

 寝巻き姿のまま、そっ、と倫理の部屋の前を通る。扉からは一筋の光も漏れていない。大人しく寝ているのか、はたまた悪ガキらしく夜間外出をしているのか。後で玄関の靴を調べておこう、なんて過保護な思いを抱きながらも、俺は食堂へ向かうことにした。

 食堂に入って俺は、(がらんとしているな)という感想を持った。しばらく経ってから、深夜なんだから当たり前だろう、なんて言葉が脳に生成されてくる。どうやら俺はまだまだ寝ぼけているらしい。
 それこそ、暗闇で一人じっとしている倫理を見て『慧吾』なんて声をかけてしまうぐらいには。

「あのさあ、正義くん。いくらボクがこんなくら~い部屋でジメジメしてるウジ虫以下の人間だからといってさ、死人と生者を見間違えるのは冒涜じゃない? 『慧吾サン』に対してさ」
「お前は抗議したいのか自虐したいのかはっきりしろ……」

 覚醒しきっていない頭にこいつの饒舌はよく響く。響くだけ響いて音の輪郭を掴み切れなかった俺は、絞り出すように返答をして水道水をコップに注いだ。倫理は食堂のだだっ広い机にポツンと一人で座っている。考える間もなく、すっと俺はそいつの隣の席に腰掛けた。

「こんな時間まで何してるんだ、倫理。明日は早朝パトロールだぞ」
「あはは、その言葉そっくり突き返すよ。っていうかなんで座ってんのさ、さっさと——」
「水を飲みに来た。しばらくしたら帰るさ」

 倫理の言葉を強引に切った自覚はあった。だが、今のこいつはなんだか目を離したら幽霊のように消えてしまいそうな危うさがあって、俺は一人で帰ることができなかったのだ。倫理と俺の目の前では、食堂の壁掛け時計が時を刻んでいる。零時を過ぎた時計の針を見て、ふと思い出す。そうだ、今日は。

「お前、誕生日だな。おめでとう」
「うへえ……日付が変わってすぐ他人に祝われるなんて、ボクごときには勿体無いイベントだよ。この言葉も返品させてくれない?」
「生憎だが返品不可さな。子どもは大人しく祝われとけ」
「子供とは失礼な。ボクはもう元服済みだぜ?」
「今は奈良時代じゃねえっての。ったく……で、本当に何してたんだ。まさか、時計を見てただけか?」

 食道を通る冷たい水が、段々と俺の意識を覚醒させていく。倫理は冴えた目をこちらに向け、そうだよ、と短く答えた。

「『正義の底辺ヒーロー北村倫理』の寿命の減りを祝ってたのさ。さて、十六歳のボクは果たしてヒーローに変身できるのでしょーか!」
「できるだろ。お前程の血性持ちができなくなってたら、大体の三年ヒーローがいなくなってるぞ」
「正義くん、何事にも例外ってモンが存在するんだよ。特にボクみたいなドブ塗れな人間は、きっとそういう不幸を呼び寄せる。だから、確認しておきたくてさ」

 いつもよりワントーン声が低いのは、深夜だからだろうか。倫理はポケットから自分のリンクユニットを取り出す。どこからともなく差し込んできた光が、ちかりと百三十一番のリンクユニットを輝かせた。

「その点、慧吾サンはいいよね。永遠に『ヒーロー』のままだもん」
「……!」

 この時、俺は親友を侮辱されたと怒るべきだったのだろう。そして、倫理のほうも俺が突っ掛かってくることを想定していたのだろう。

 しかし、俺は、何も言えなかった。この九か月間一緒に過ごしているうちに、倫理が『ヒーロー』に対して抱く複雑な、だが真っ直ぐな想いの片鱗を知ってしまっていたから。隣にいる、親友と似た髪型をした幼い星乃の遺児は、俺達白星とは違った道を進んでいる。けれども、根底にあるヒーローへの純粋な憧れは、何も変わらないのだ。慧吾も、倫理も、勿論俺も。

「……ありゃま。正義くん、座ったまま寝ちゃった?」
「い、いや。起きてる。そうさな……慧吾は、今でも俺のヒーローだ」
「やっぱちょっと眠そうじゃない? 張り合い無いなぁ。眠いなら早く自分の部屋に戻りなよ。ボクやることあるからさ」
「それ、使うのか」

 俺はリンクユニットを指さして訊ねる。倫理は真夜中には不釣り合いな程無邪気な笑みを浮かべて頷いた。

「『ヒーロー北村倫理』の生死がかかった一世一代の変身ショーを上映予定さ。観客は不動のゼロ人! もしショーが失敗しちゃったら、ボク恥ずかしくていなくなっちゃうかも。死期を悟った野良猫みたいに、誰にも知られずひっそりいなくなるね!」

 俺にすら見抜かれる空元気だな、という言葉は心のうちにしまっておいた。こいつはヒーローの力を、血性の力を失うことを恐れている。
 もうすぐ血性が無くなってしまうだろう俺も、幾度となく同じような不安に苛まれたことがあった。段々と力を失ってゆく先輩方の背中が、どんどん小さく見えてきて嫌だった。そんな風に見てしまう自分も嫌だった。でも。

「倫理、」

 俺は中高六年間を『血性持ちのヒーロー』として過ごして様々な経験をし、自分なりの折り合いを付けられたのだ。
「血性は確かにいつか無くなる。俺ももうすぐ変身できなくなるだろうさ。けどな、『ヒーロー』として活動した記憶も、それで得た経験も無くなることはない。『ヒーロー星乃慧吾』も、『ヒーロー北村倫理』も、俺の中では永遠だ」
 きっとこいつもこれから様々なことを体験し、見聞を広め、こいつなりの答えを見つけ出してゆくのだろう。ヒーローの先輩として、従兄として、俺が出来るのは見守ることだけだ。

「ま、高一のうちに血性が無くなるなんて話、白星ですら聞いたことないからな。精々杞憂しとけ」

 俺はコップを片付け、食堂を後にすることにした。今日のこいつはもう大丈夫だろう。

「じゃあ俺は寝る。——朝、遅れんなよ」
「……うん」

 去り際の俺にかけられた言葉は、珍しく、年相応な幼い返事だった。

〈了〉