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年齢を重ねての転職活動の実情と意味(自問自答風、雑記)

 何度も転職活動をして思うが、現代において35歳ぐらいまでの転職活動は機会に対しての挑戦であったり、新しい技術を身に着けるためのステップアップという側面があるにはある。もちろん、そこを過ぎてからもその側面はあり、人間はいつでも経験を手にすべく行動をしなければならないが、35歳まではある意味闇雲に栄光を手に頑張っても許されるような気がしている。
 ただ、40を過ぎるとやはり一つステージが変わったと思っている。そもそも大袈裟にいってそれなりのfortuneをもらえる歳になっており(にぎやかしぐらいしかできていない気がするが)且つ、自分を含めて養うべきものがあるので、「1から何か」というのは副業以外は考えづらく、かと言って「お金さえもらえれば何でもいい」というものでもない。それだと今までの失敗や反省から何も学んでもいないということになる。

 40を過ぎてそれなりの社会人経験があれば、本来多くの人は業務を遂行する上でリーダー的な立場になるのだろう。そうすると当たり前だが責任は大きくなる。
 年齢がいってからの転職活動の分岐点はまさにここではないかと思う。勿論、30を過ぎてとっくにその立場を経験している方もいると思うのだが、私にはあまりない。とどのつまり、覚悟がなかったということなのだろう。

 正直、今まではコスパを意識していた生き方だったのかもしれないとさえ、思う。現代においては「同じ給料をもらえるのなら、時間がより空いて有休を取りやすいところ」など明らかにコスパを意識してきた部分はある。実際転職において上記は働き方の問題で家族がいる私にとってはそれなりに選ぶポイントになる。幸い世間も労働条件を改善しなければ人が集まらないという、私が望んだあるべき勤務実態に傾向してきている感じはあるので、それは歓迎すべき。
 ただ、がむしゃらに臨んだ若い時よりは明らかに鈍化していて、それは言い訳として色々なことに目を向けなければならなかった点もあるが、端的に「コスパを求めて相応の苦労をしていない」という点が、精神論ではあるがあるかもしれない。

 結局人間が大きく成長する時は、頑張っていたり、苦労した時を乗り越えた時であり、それが周りとの評価は抜きにして自分自身をカチ上げてくれる。体を壊すまで理不尽に耐える意味はないが、ある種自身の「目標設定」に対し、どこまで成長し得るか、というのはコスパではあまり測れないのではないかなと思った。なぜなら未来が予測できないから。
 そうなってくると、ここから大事なのは目標、つまり「どう生きるか」という点なのだろう。もちろん併せて「何ができるか」は外せないが。職場のにぎやかしぐらいしかできてへんけど(一部の職場ではそれすらできなかったが)。

 と、だらだらと自己分析を書いてしまいましたが、歳を取ると保守的になり、今年はより動いてみようと思ったことをnoteの場をお借りして書いてみました。

 今はまだわかりませんが、もしかしたら自分は半分意識してますが「手詰まり」の可能性もある。だとしても若い方はコスパを求めず、生き方を追究して満足の良く歳の取り方をしていただきたいとは思う。
 そして同じ40代ぐらいの方は、日々頼もしく生きていけたらと願う。

良い、人生設計を。

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