希死念慮との向き合い方
若者の4割は死にたいと本気で考える希死念慮を持った経験があるという。
その半分ほどは誰にも相談したことがないという。
これだけ多く希死念慮を持つ人間がいるのに、そのような感情は人には話さないのだ。
話してはいけないと思っているのか、そのようなことを話す相手がいないのか、話すまでもないのか。
人間関係がうまくいかず悩み、人には相談できない。あの人に自分はどう思われているのか、嫌われてはいないだろうかと考える。
相談相手がいれば、自分の気持ちも整理できるが相談相手が必ずしも理解者であるとは限らない。
これだけ物質的に豊かな日本なのに。
ほとんどの人が餓死をすることのない国なのに。原因は一体何なのか。
1つは仕事だと思う。
仕事はあくまで生活費を稼ぐためにしょうがなく行う労働である。しかし、心を病んだりするまで仕事をしてしまう人も多くいるのが事実である。
何故そこまで仕事をするのか?
私は他人に迷惑をかけたくないという思いから仕事を1人で抱え込んだり、上司からの人格を否定されるなど精神的な負荷がかかったり、長時間労働による睡眠時間の不足、生活習慣の悪化により正常な判断ができなくなることが原因の可能性があると考える。
原因は複数ありとても1つに絞られるものではないが、どれも自分以外の人間が絡むということは共通している。
私の好きな養老先生も言っていた。
ある講演でどんな時に幸せを感じるかを大学生に事前にアンケートを取り結果を話していた。結果としては人と笑い合ったり、友人に恵まれることであったり良好な人間関係に幸せを感じると答えた人が多かったようだ。
ここで養老先生が話す。つまりは人間関係で幸せになるということは、同時に人間関係で不幸にもなるということだと。
自分が幸せと感じる時はどんな時に考えたことはあるだろうか。そこには自分以外の人がいるのだろうか。もし良好な人間関係でのみ幸せを推し量るのであれば危険である。
それは不安定なものだからだ。
人には寿命がある。そして年齢とともに思考が変わることもある。良くも悪くもは人間関係というのは流動的でありずっと同じ人と同じ距離感でいることらむずかしいことなのだ。
結婚すると友人と疎遠になることもある。
養老先生が話していたのは、花鳥風月ない。 つまりは自然がないということである。そうなると、人間関係でしか幸せを推し量ることができなくなるという。
自然という誰も介在しない、人間関係から離れた所で花鳥風月に触れその美しさを感動したり、癒やされたりする時間を作る。
そうすることで、人間関係だけでがんじがらめになっている価値観を解くことができるのではないかと考える。
希死念慮がある人は若者で4割いるのであれば、マイノリティというには規模が大きく無視できない問題であるように感じる。しかしそういう思いを持つことも普通であると理解し、人間関係に縛られない環境を一時的にでも作ること。
そういうことを増やすことが、
生存戦略につながると思う。
どうか電車ではスマホをみずに、音楽でも聞きながら空を見上げて欲しい。
晴れた気持ちの良い1日に気づかず、
悲しい一日にしない為に。
どうか勇気を持って。
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