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オッドタクシーを観て スクールカーストという呪い

久々に手の込んだ面白いアニメを観た。
登場人物が全て動物かつ街の風景がとても丁寧に描かれていた。
何より表層に出てくる行動の心理的背景を普通のアニメの二段階は深く踏み込んでいたように感じる。

今どきの若者の悩みや、共依存関係、根源的な問いを可愛い動物たちを介することにより重くなりすぎない世界観をうまく形成していた。

一番納得したのは、スクールカーストによる劣等感を植え付けられた人間の思考回路がどうなるのか?ということだ。

よくある題材なのだろうが、自分の周りにも学生時代の成功体験やトラウマが大人になってからの行動にも良くも悪くも作用しているなと日常でも感じることがあったので興味があった。

学生時代の劣等感を克服できないまま大人になるとどうなるのか?
京大退学した男が街中の学生に学歴をインタビューするというyoutuberがいる。
その人は自分より低い学歴の人ならばFランや底辺などの相手を傷つける強い言葉を発する。そのことで再生数を増やしている。
このyoutuberは自分が高卒のやつにいじめられていたから自分が京大に合格したことで見返してやろうという思いで活動を続けているという。

これが学生時代の劣等感を歪んだ行動へ結びつけている例である。

劣等感を植え付けられるもしくは自発的に持ってしまうと周囲の人を傷つける加害者になってしまう可能性があるということだ。

いじめられるというのはとても辛い出来事であるし復讐したいと思うのは普通だと思う。
復讐を行動に移す人は少ないと思うが、何らかの行動で見返したいとは思うものだ。

その劣等性を克服する為に努力し幸せになることが一番の復讐だと私は思う反面、誰もが努力できる訳じゃないし、幸せを感じる事ができる訳じゃない現実を知っている。

私が一番考えてしまうのは、劣等感を抱えたまま克服する術もなく生きていくのはとても辛いだろうなということである。
もし自分ならば耐えられるのかとも思うし周囲を羨み、恨むだろうなぁと思う。

根本の原因はスクールカーストだ。しかし社会人でも、主婦間でも似たようなマウントや優越性の奪い合いのようなことは起こっている。これは生物の縄張り争いや群れでの序列と同じようなもので遺伝子レベルで起こってしまうことなのかもしれない。

であればどうすれば良いのかと途方に暮れる。正直打開策は浮かばない。
アニメの中では「諦める」ということも重要だと投げかけていた。競争原理から外れてみると救われたし、それが「自分を許す、受け入れる」ということなのしれない。

劣等感を持っている自分を許す。
劣等感を植え付けた人間の事を考えて人生の大事な時間を使ってしまうよりも、今の自分を許し好物の食べ物を食べに行き慰めるということでもいいのかもしれないなぁと思った。

すると少し人生は楽になるのかもしれない。


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