タイミングの不思議
「人生は出会いである」と、断言される方もいるほど、出会いの妙を経験する人は多い。
出会いばかりではない。誰かに何かが起こるタイミングは、何が、誰が決めるのだろうか。私達が"偶然"と呼ぶものには、誰かの意思が働いているのだろうか。
長く生きてきた私の人生は、いつもこの偶然のタイミングの重なりで、幸多い道を歩いてきたように思われて仕方がない。
今年になって、特にそれを感じる出来事が多かったので、その時々に私に適切な指示を与えて下さったのは、神様なのか仏様なのか、はたまた父母や親戚、果ては最近逝ったちび太にまで想いを馳せてしまう。
不思議ついでに、民話などによく出てくるreincarnation(生まれ変わり)を見てみよう。
童話にもなっているし、民話を集めた本でも読むことができる。
例えば、ヤマトタケルのミコトが亡くなった時、白鳥になって大和の方へ向かって飛んで行った(古事記)とか、
伊予国の新城山頂では、四国を我が物にしようと戦い続けていた長宗我部元親に、城を攻め落とされた後、戦死した侍たちの魂が、黄色い蝶となって、毎年彼岸になると、訪れる人々の間を群舞していたとか。これが明治の初めまで続いたそうな。(高知・宿毛歴史館)
実は、私も身近に見聞きした体験がある。
起業してかなり成功した兄が、病に倒れてあの世へと逝った後、暫くして、日本橋のビルの中にある会社の社長室に、立派な雄鶏が現れた。社員たちが大騒ぎしているうちに、室内を悠々と一回りして、何処へともなく消えてしまったとか。
これは大勢の社員の目の前で起こったことだから、作り話ではないことは確かだ。
その鶏がどこから来てどこへ行ったのかは、今でもミステリーとされている。
私自身も子どもの頃、黒人の坊やが、カワウソに生まれ変わった話を読んで、動物や昆虫を見ると、これは何の生まれ変わりかしらと、つい思ってしまうようになったらしい。
あることないことを空想しながら、可愛いメルヒェンでも書けると楽しいでしょうね。