健常者から生まれた難聴の子②ーことばの教室

健常者と同じ学校に通っていた私は
1時間目には参加せずにことばの教室に行ったり、
帰りの会を途中退席して行ったりもしていました。

ことばの教室ってなんだっけ。
一体何をしていたんだっけ。

それを書き残しておきたいと思う。

よく覚えているのは
小学生の時、補聴器をつけている私は
電池チェッカーで補聴器の電池が十分にあるかを見て、
紙に記録した。

そして手鏡で口の動きを見て、
発声練習をした。

タ行とかサ行が苦手だった。

舌の体操もしてような気がする。
舌が鼻につくかなぁとか二人で勝負した。

書いてきた日記を読み、感想を言い合った。
聞き間違えていると、
言葉を間違って覚えていることもあって
よく赤ペンで直された。

きづいたなのに、きずいた。とか。
例がこれしか浮かばなかったけど。

国語の勉強に近いかもしれない。
いや、英語の授業だろうか。
〇〇をしているのはどの子?と聞かれて
絵に丸をするようなこともした。

きちんと理解できているかリスニング力を鍛えていたのだろう。

おかげで普通に喋れている気になっている。
ただ、実際には健常者に紛れ込めていない。
もちろん、聞き取るのも苦手。

やっぱり「き」「ち」「つ」「す」の発声が苦手で
少し気が抜けると「ちゅ」と言ってしまう。
運動会のビデオを見たときに
難聴者特有の喋りを自分もしていたと知った時は
だいぶショックだった。

喋れている気になってたけど。
まぁ伝わっているならよしとしよう。

中学生になると
授業でわからないところがないか聞かれるようになった。
でも成績が悪いわけではなかったので
あまり授業について教えてもらうことはなかった。

日記を書いて質問し合うのは覚えているけど、
中学生の時の特別支援学級(通級)では
何をやっていたか記憶にない。

小学校で週1、2行ってた頃から
中学では月1になったから記憶にないのかもしれない。


その聾学校で土曜日に集まって
キャンプに行ったり体を動かすようなイベントが
開催されていて毎週のように参加していた。
(小学校1年〜6年)

もちろん集まるのは耳が聞こえにくい子や聞こえない子。
手話を使って話す子がいる中で
一緒にイベントを楽しんだ。これは楽しかった。

体育館でフットサル?を教えにきてもらったり、
手話のダンスを覚えて保護者に披露したり。

そこでは先生が手話を使って話すから、
手話ができない私でも単語単語で
読み取れるようになった。

あ、聴力は補聴器をつけて53デシベルだった。
手話には馴染みがなく、この場が新鮮だった。

そこで全体に向けてこんな質問があった。
「耳が悪くてよかったことってある?」
その時はなんてことを聞くんだと思った。
ポジティブに捉えられていなかったからだと思う。

「たくさんの友達に会えた」
私と同い年の子がそう答えた。
結構、衝撃だった。
よかったことなんて考えたことがなかったから。

そっか、友達が多いんだ。
ここにいる人みんな友達なんだ。

あの世界が広がった感覚が忘れられない。

なんだかんだ心の拠り所だったのかもしれない。
学校に通いながら別の学校も行く。
きっと親が大変だったと思うけど
人生、前向きに考えられるようになるきっかけだった。

いいなと思ったら応援しよう!

23
自己分析をするための情報まとめでnoteをしております。覗きに来てくださりありがとうございます。自己紹介をするとすれば、お笑い好きです。( ͡° ͜ʖ ͡°)