障害を持って生まれた意味を
「お母さん! なんで私は補聴器が必要なの?」
「みんなと違ってなんで耳が悪いの?」
私はこれまでそう疑問に思ったことは1度もなかった。
障害を扱う作品でそういった台詞が飛び交い、
自分の状況を不思議に思う人もいるのかと初めて知ったくらいだった。
補聴器をつけ出したのは3歳。
それが当たり前だったにせよ、幼稚園、小学校と上がって
周りと違うことにも既に受け入れていたのはなぜか。
私はそちらの方が気になった。
自分で自分が不思議だった。
なんとなくだが親を責める人もいると描かれる中で疑問に思わなかったのは、
自分でその道を選んだからなんだと思った。
人に言われて始めるのは長続きしないけど、自分でやると決めたことは挫折してもやり遂げようとする。そういう性格だから、障害についてもそうなんだと思った。
自分で決めたのだから、どんなに理不尽なことをされようと親のせいにはするものではないし、障害があるのも含めて自分だと初めから認められたのだと思う。
母は私を妊娠をしている時、風邪をひいたとかあまり体調が良くなかったとかで、私が聴覚障害になったのはそのせいじゃないかって言ってきたことがあった。
その話を聞いた時も、うーん、なんか違うと思うけどね?
と返答した。
母に責任感じさせたくないのもあったが、素直にそれは違う気がした。根拠のない答えですが。
障害を抱えて生まれることの理由として
私がなんとなくしっくりきたのは
「誰かの身代わりになるために障害を抱えて生まれることを本人が選んだ」説。
まぁこの方が私、いいことした感あっていい。
勝手に好感度高くなるような説だし、自慢しちゃいたいやつ。
なので私はこの説にします(?)
母の体調が変に拗らせていたのを、私が障害を抱えて生まれることで母の命を救ったんだと。そう思う。後に生まれる弟の身代わりになるには先を読みすぎな気がするので。
私が聴覚障害のないなんてことない人間だったら、母はそのまま健康的に生活できなかった可能性がある。ということにします。
母の病気のせいで障害者として生まれたのではなく、
母を救うためであり、自分で選択して生まれたんだと。
実際にはどうなんでしょうね。
全然違ったら笑けますwww
母を救う感動的な話にしたがる痛い勘違い野郎ですね。