物が捨てられない自分がその理由を考えてみた(11/8の月食の話を添えて)
熊本に引っ越して以来(2018)部屋が何となくごちゃついたまま、部屋が「部屋」というよりは「とりあえず過ごす空間」のまま3年ほどが過ぎました。
昨年「はっ!!うちには…物の量に比べて収納棚が少なすぎるのでは!?」と唐突に気づきを得て(遅いよ)、無印良品で棚をバカスカ買い、多少すっきりはしたもののやはり何がしかごちゃっとしてる…という状態が続いておったのですが、今週末、唐突にスイッチが入って室内の諸々の配置換え&不用品の処分をしました。
元来物を捨てるのに苦労するタイプなのですが(だから部屋がごちゃつく)、今回「そもそも自分はなぜ物を捨てることにこんなに躊躇するのか?」と疑問が湧き理由を考えてみた。その内容としては、
物(雑貨でも食べ物でも服でも)を買うときには、「その物が欲しい」というよりも、「その物との素敵な暮らしや、(今はそうではないが)その物を活用できてる自分になりたい/なれるだろう」という潜在的願望と希望的観測がある。
つまり「捨てよう」と思ったときにためらうのは”その物を活用できてる状態を作り出せなかった自分”に未練があるのであり、「いつか使うかも」は”いずれ無駄なく物を使いこなしてる自分になりたい”という気持ちの表れである。
しかし、何年も使いこなせなかった物は自分にとって分不相応か不必要なのであって、「使いこなせるいつか」は当面(もしくは一生)来ない。
ということです。
それをふまえて「とりあえず今の自分が使いこなせる物で分相応な生活をして、また使えそうになったら買えば良いんだ」ということを理解すると、何ということでしょう。一気にじゃんじゃん物が捨てられるようになったのです。
それはもう自分でもびっくりするほどスピーディーに要る/要らないを判断して捨てられるようになり、大体目の届かないところにある物の大半は要らなかったので捨てました。これは革命的変化…「自分」と「物」との関係に大変な変化が訪れました…(自分比)。
理想の自分を投影して背伸びした物を買うと結局使いこなせなくて手放さざるを得ない。そこの踏ん切りがつかないとどんどん物で溢れていくって話で、そうでなくするのが身の丈に合わせて暮らすということなんだな、ということにも思い至ったり。
これ、最初にTwitterでつぶいてた内容で、かなりの勢いで断捨離しながら気がついたことなので正直自分の中でホットトピックスなことをそのままつぶやいているだけなんですが(それはいつもそう)、この話も今回(11/8)の月食のテーマとリンクしているなと思います。物とのつきあい方、所有することについての発見、見直し、変化など。
今回の牡牛座月食の配置は月と天王星がタイトに合になっているところが特徴です。そして今年起こる月食/日食は牡牛座ー蠍座ラインで起きます。そこに水瓶座の土星、牡牛座の天王星がハードアスペクトでかかることが多く、1年を通じて所有・所属の感覚がさまざまに揺さぶられるのではと思っていました。
貨幣価値に関しては円安が進行しててこれまでとは違う状態が起こってますよね。あと政治と宗教の問題に関しても夏以降クローズアップされていて、「これまで当たり前のように身をゆだねていたものがこれからも信用できるとは限らない」みたいな状況がいろんなところで起こっている気がします。
今回の月食はどんなことが起こるのかな、と思っていたのですが、自分にとってはこんな感じで出てきたのね、というのが興味深いです(まだこれだけじゃないかもしれないけどね)。
自分の場合ソーラーサインハウス(太陽サインを1ハウスとしてホロスコープチャートを作る)で考えると1ハウス水瓶座になり、今回の牡牛座月食は4ハウスで起こる。そうなると「部屋の整理、模様替え、不要なものの処分」はドンピシャなテーマです。改めてソーラーサインハウス侮りがたし…とも思いました。
今回は以上です!
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