昭和をつぶやく〜記憶の中のファッション史② <父のスーツの木製ハンガー>
先日ムスコが仕事用のスーツを購入に行きました。
親バカですが、仕事用としては初スーツってことで嬉々として同行。
親切な店員さんのアドバイスのもと無事購入、ついでにスーツ用のハンガーを薦められました。
そのとき、ふと父の使っていたスーツ用のハンガーを思い出しました。
なんだか懐かしくなり、帰宅してすぐにハンガーを探してみるとなんのことはない、自分のスーツがかかってました。
実家を出る時からずっと持っていたので、使うときも無意識だったのでしょう。
木製部分や金具、ロゴの雰囲気はかなりの味わい。
TAILOR Hirano とあるロゴから調べてみると、名古屋に創業71年の洋服工房ヒラノさんというお店がありましたが、そのお店かどうかは定かではありません。
昭和40年代、父は名古屋市で仕事をしていたのでこのお店の可能性がなくもないので、だとしたらワクワクします。
もっと調べてみようかしら。
父はとてもお洒落さんで、ヘアスタイルはいつもポマードのオールバック、寝る時はきちんとネットを着用、仕事でも蝶ネクタイをしている写真が残っています(実際自分の職場にそんな上司や同僚がいたらどうかとも思いますが)。
サロンのような理髪店に一緒にいった記憶もあります。
母にオーダーの洋服を誂えていたようですから、自分もおそらくスーツをオーダーしていたと思います。
当時は高級な服といえば男女ともにやはりオーダーメイド、既製服は「吊るし」なんて呼んで見下げる人もいたようです。
さすがに子供の私は既製服でしたが。
母は父のスーツをよく手入れしていました。
ベンジンを使って丁寧に汚れを落とす。
そのベンジンの匂いが私はなんだか好きでした。
当時は和服を日常的に着る女性も多く、母もそうでしたから自分の着物の手入れもしていたのかもしれません。
普段使っていない和室にちょこんと座る母とベンジンの匂い、差し込む柔らかな日差しが鮮明に記憶に残っています。
そんな光景も、父が亡くなってからは見られなくなりました。
のんびりした専業主婦から突然母子家庭になり、働きに出ることになった母は、和服を着ることもなくなりました。
あれから半世紀、私たちの装いはガラリと変化しました。
デザインも素材も価格も縫製も流通も。
オーダーの洋服を着る人なんておそらくほんの一握り。
インターネットで個人で売買する時代なんて、予想もしていませんでした。
安価な服をそのときを楽しむために賢く着る、不要になったら必要としている他の人に譲る。
効率的でエコでグローバルで、今ならではの姿勢です。
そして衣服にまつわる思い出もどんどん変化しているのでしょう。
けれど、洋服好きな私としてはやっぱりそこに「大切な誰かとの思い出」や「語り継ぎたいつながり」みたいなものが残っていれば嬉しいなあ、なんて思います。
思わぬところから昔々の思い出に包まれたひとときでした。