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一緒に見れば朝日だって怖くない
いつの間にか、当たり前のように過ぎていくだけの日々。変わったことなんて特になくて。同じ時間に同じコンビニで同じ昼ご飯を買うだけの日々。
不満なんてない。でもそれが、満足しているという意味になるわけでもないという事実はあんまり気付かなくてもよかったな、なんて考える。悩んでいることがあるわけでもない。普通の日常に、普通に不満がないというただそれだけのこと。
そんな日々にいきなり救世主が現れたなら、どうしようか。
週に2回も共に夜を明かす男女5人の友達ができたら、どうしようか。
最近、気が付いたことがある。
人は誰だってそんなに強くはないけれど、人といるだけで、少しは強くなれるということ。優れているかどうかではなく、人間同士として付き合ってくれる人がいてくれるだけで、私たちは十分生きていけるということ。
私だからというだけの理由で、私のことを好きでいてくれる人がいる。そのことに涙が出る朝があって、そのことを照れくさく思ってしまう私がいることは少し秘密にしておこうと思って。
私はそれなりに頑張っているし、必死に生きているけれど。私にとってそんなことはどうだっていいんだ。私がいる、ただそれだけのことが大事で、私だからこそ、一緒に居たいと選んでくれる人がいることがとてもかけがえなく思うんだ。
私のことをちゃんと見てほしいからこそ、完成品ばかり陳列して見せびらかしているのに。本当に見てほしいのは完成品なんかではなくて。完成品を見てもらうことなんか一つも嬉しくなくて。本当は私自身だけを見続けていてほしいなんて。そんなことひねくれていてどうしようもなくて、笑ってしまう。
何でもない夜を、しょうもない遊びで塗りつぶしてくれる彼らが大切すぎて、愛おしくて泣けてくる。
彼らのいいところを挙げようと思えば半日は話せる。人の話を聞くのが上手で、褒めるのが上手で。彼らと一緒にいると、自分がとてもかけがえのない人間かのように思えてしまう。自分のことを大切にしようと思える。
それがとんでもなく難しいことだと分かっているからこそ、彼らとの関係を大切にしなくてはならないと思うのだ。
20も過ぎて、お酒も飲まずにお喋りをして朝を迎える。そんな関係性がいかに貴重かを分かっているからこそ。失いたくなくて泣けてしまうのかもしれない。
大学生にもなって、男女なのに、駆け引きせずに本気で弱音を吐ける。そんな関係が、きっとこれから一生作れないことに薄々気付いているからこそ。魔法が解けてしまうことが嫌でたまらなくて急ぐように何度も会ってしまうのかもしれない。
楽しいって、こういうことだったな。と彼らと一緒にいると思える。
16時間も一緒にいたのに、帰って一人になると寂しい。それがいかに難しいことか、そんなこと今更人に教えてもらわなくても分かるんだ。
私の良くないところ、ダメなところ、変な癖。全部まとめて私だ。そのことを当たり前のように彼らは抱きしめてくれるから。
そのことが泣きたくなるぐらい幸せだ。
もうなにも望まないぐらい、愛してもらえていると思える。
どんなに変わらない日々に追われて、余裕がない日でも。どんなに無理をしても彼らに会いたくなる。一回会えば朝まで掛かってしまうことを分かっていても、そんな犠牲を厭いたくないぐらい。楽しくてたまらない。
余裕がない日々の中でも、一緒に朝を迎えれば。一緒に朝日を見れば。きっとどうにかなると思える。
今日も朝が来た。それならきっと大丈夫。