鉄の女サンエイサンキューを通して見る競走馬の死について

 98年11月1日 忘れもしない秋の天皇賞 沈黙の日曜日
今もなお競馬ファンに語り継がれる1日 サイレンススズカが府中のターフで競走馬としての幕を下ろしたその日から遡ること4年前
94年の同じく秋 10月21日に静かに息を引き取った競走馬がいた
後に「鉄の女」と呼ばれる事になる1頭の名牝 サンエイサンキュー

 今回この記事を書き始める前まで恥ずかしながらサンキューの名前はすっかりと忘れていた
先日、古くからの競馬仲間の友人と会話をしていた際に流れで思い返す事となったのだが
正直なところサンキューが走っていた時代、私自身は10歳ほどの子供であり競馬が大好きだった祖父と一緒にトウカイテイオーを応援していたのを薄らと覚えている
ツイッター上で、サンキューと同じように「鉄の女」と呼ばれたイクノディクタスの話題を振られても、生まれを前後して答えてしまう程度に記憶は曖昧であったため改めて当時の事を調べ始めたのだが、私の気持ちはある一つのところにぼんやりと置かれている
果たして私はこの記事を最後までまとめきる事が出来るのだろうか
腹の奥底にズッシリとした何かが座るのを感じながら、仕方ない、回顧を始めよう

 サンキューの事を語るにあたり、やはり主軸と成るのは「鉄の女」と呼ばれるようになった由縁「過酷なローテーション=使い込み」そのものに尽きると思う
参考までにその競争成績を貼っておくので一瞥してほしい

91年の夏の札幌 3歳新馬戦でデビューとなっているが、これは競走馬の年齢表記がかつて数え年であったためでありサンキューはこの時点では2歳と3ヶ月
つまり2歳デビュー直後にしていきなりの3連闘を強いられた事になる
そこから年末の阪神3歳牝馬Sまでに月に1度のペースで出走し結果的に2歳時点で7戦
年明けのデイリー杯クイーンCでは1着を飾り、それまでの好成績からサンキューは桜花賞を目指す事になるのだが、なぜか陣営は桜花賞前に弥生賞出走を選択
この時点で牝馬王道路線を知る競馬ファンはピンとくるだろう「異常」だと
それまでの疲労もあったのだろうか、弥生賞、桜花賞はともに惨敗
翌月のオークスにも連続して出走、ここで今までサンキューの主戦を務めていた東騎手から名手田原へと乗り変わる事になり2着と大健闘する
通常なら、現代の常識ならばだ、春のG1で手応えを感じれば秋に向け夏は静養し力を温存するのが普通だろう
だが違った、休養を挟む事無く(振り返れば彼女の生涯でここが1番休養を取り、万全の状態で向かったと言える)そのまま夏の札幌記念へと向かい、そしてサンキューは偉業を成し遂げる事に成る

 92年7月の札幌 まだ札幌記念がG3だった時代、歴代の勝ち馬を見れば錚々たる顔ぶれが並ぶ歴史あるレース
歴戦の牡馬たちを相手に小柄な3歳牝馬のサンエイサンキューは4番人気を背負いスタートを切った
マルセイグレート、インタースナイパー、キングオブトラックがお互い負けじと競り合いながら1コーナーへと入り、サンキューは中段やや後ろに控える形
馬群は縦長、かなりのハイペースでレースは展開して行く
残り3Fを迎える、先行勢の息が上がり始める、後方から馬也でぐいぐいと前へ進出してゆくサンキューと田原騎手
そして4コーナーを迎えるとき、初めて古馬を相手にしたとは思えないほどの手応えを見せながら3歳の牝馬サンキューは直線を待たず先頭に立つ
ステッキは入れない、食らいつこうとするヤマニンシアトルとニックテイオーを突き放す、1馬身、2馬身のリード、一気に直線を駆け抜けた
サンキューが、その当時3歳馬では初めての札幌記念制覇という偉業を成し遂げた瞬間である

 ここで話が終わっておけば、と振り返りながら痛烈に感じるが
しかしサンキューの戦いは止まる事無く続く、函館記念の大敗、そしてまたサファイヤSでの勝利
才能と勝負根性、真面目な気質で毎レースずっと走り抜いていたのだろう
この頃には世間もこの異常なローテーションに疑問を見せ始めていたようだ
馬主とサンキューの身を案じる厩舎側と田原騎手の対立、疲労の蓄積から人が乗るとトウ骨が軋む音が聞こえるほどに体調が悪くなっていたサンキュー
「エリザベス女王杯は出走回避するべき」という田原騎手の進言空しく馬主側はこれを拒否、サンキューを担当する厩務員、助教助手はあまりの使われ方に涙したという

 そして事態は最悪の展開へと繋がって行く

エリ女での大敗はどう考えても疲労によるものである、休養を与えず翌月の有馬記念への出走を指示した馬主に対し田原騎手は抗議の行動として「この馬を壊したくない」と名言しサンキューの騎乗を拒否
鞍上に加藤騎手を迎えた92年12月27日の有馬記念
「どうか無事に走りきって欲しい」そんな思いは虚しく、事前に指摘されていたサンキューのトウ骨は限界を迎え競争途中で骨折
通常ならば予後不良と即時判断されるほどの重傷であったが、サンキューのこれまでの成績から「繁殖牝馬にすれば金になる」との馬主の要望で延命処置が施されることになった

 骨折での一命は取り留めたものの、競走馬の骨折からの回復は非常に難しい
6度の手術、蹄葉炎の発症、小柄とはいえ400キロを超える体もどんどん痩せ細り300キロほどになり自力で体を支える事もままならなかったと言われる
1年半という短い時間の中で17戦5勝という記録を残し、2年近くにも及ぶ闘病の末に、94年10月21日、彼女は心臓麻痺でこの世を去った

私はこの記事の表題に「競走馬の死の光と影」という一文を入れていたのだが
あまりにも陶酔しすぎているかなあ、との思いで今の表記にした
だが様々な事が表裏一体の中で、あまりにも表にのみスポットライトがあたる現状に気づいてほしい
華々しい戦績を残し、悲運の死という事で美化され語り継がれ
今もなお新たなファンを獲得するサイレンススズカのようなアイドルホースの裏で、同じように非業の死を遂げたにも関わらず、人の記憶から消え去って行く競走馬たちの事を考える「競馬ファン」は一体どれほどいるのだろうか

 話は横道に逸れるがつい最近の事、引退馬の余生に馬主に責任があるのかどうかという考えについて、競走馬に携わるという方から意見を頂いた
文章を大きく改変して意味が変わってはいけないので、ほぼそのまま転載させてもらう、それは以下の通り
「競走馬の馬主は競走馬としての価値がなくなればいらないわけで、競走馬も経済動物、肩を持つわけではありませんが、競走馬が引退してその後の事を丸投げなのは自然な事だと思います」だそうだ
そしてこうも語ってくれた
「経済動物として切り捨てられてしまう限りある短い命だからこそ美しいのだと思いますし、もちろん切り捨てられないように精一杯毎日調教をつけているつもりです」と

競走馬の余生についてや馬主の責任についての答えは私自身も出ない
常に議論されるべきであろうし、その出口はまだまだ遠い
住んでいる距離や経済的な面、色々な事が障害となり何かしようとしても出来ないもどかしさを感じるのが現実だ
だが考える事をやめず、目を向けることはマイナスではないはずだ
なので私の感情的な思いを書かせてもらいたい

「競走馬として切り捨てられる事が自然な事、経済動物であるから所有する人間が好きなように使い詰めて必要としなくなったら捨てることが自然な事」

この「自然」というのは今までの慣習や取り巻く環境が作り上げた人為的な流れであって
走る為に生まれてきた競走馬が必要とされなくなった瞬間に殺されるという選択を取られるのは、本当に「自然」なのか?人間のエゴを「経済動物であるから」という免罪符に覆い隠して目を背けているだけではないのか?

スズカとサンキューを光と影の対比で比喩したが
名も覚えられる事無く、いつの間にか消えて行く未勝利戦の競走馬や地方馬
それらに目を向けるとサンキューもまた光の存在になる

私自身ははっきりと断言する
命の儚さに美しさはない
競馬に美しさを求めるならそれは懸命に走り生きている馬たちだと思う
そしてその裏にあるものは戦績それらに関係なく、有名無名の上下優劣をつけることなく全てが影だ

短き命が儚く美しいというのなら、それならば聞く

「サンキューの死は美しいのか?」と


おわり