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[孤独の考古館]no.1 三内丸山遺跡時遊館

私の名前は井石廻。しがないライターをしている。

ここ最近は地方をテーマにしたウェブマガジンを中心に仕事をしている、地域で流行っている定食屋や、面白い取り組み、特有の文化、それについて取材して原稿を書いている。自分で言うのもなんだけど、仕事は早い方で締め切りは守る。クオリティはそこそこだけど、意外とページビューは稼ぐ。多少の良い評判もありいくつかの媒体では自分の名前でコラムも持っている。
この仕事は別段ギャラがいいわけでもないし、毎回取材は地方に行く必要があり泊まりになってしまうことも多く、効率という点でも大して良いわけでもない。だけど私にとって楽しみな仕事だ。その理由は取材そのものにはない。「行ったついで」にある。

青森県青森市、午前中に「味噌カレー牛乳ラーメン」の取材が終わる。青森での仕事をよくお願いする青森在住のカメラマンの工藤は別の現場があるらしく店主のインタビュー中に機材をまとめ始め、こちらの仕事が終わる前にはすでに姿がなかった。ノートパソコンとメモ、ICレコーダーに記録用のスマホ、店主が最近出したというレシピ集をカバンに押し込んで取材先に挨拶をし、お店を出て一人になる。今日の仕事はおしまい、と、私は歩き出す。荷物は割と重くショルダーベルトが肩に食い込む。
足の向く先は駅でも宿でもない。私はタクシーを拾い、こう告げる。
「三内丸山まで」

三内丸山遺跡/三内丸山遺跡時遊館

三内丸山遺跡は、国の特別史跡、そして世界遺産である「北海道・北東北の縄文遺跡群」の中心的な遺跡だ。日本全国に数多い縄文遺跡の中でも言わずと知れた存在の遺跡と言えるだろう。遺跡に隣接して三内丸山遺跡時遊館という展示施設があり、今回の私の目的地はここだ。
もちろん同行者はいない。仕事でも取材ではなく、ただただ楽しみで来ている。そう「行ったついで」とは考古館巡りのことなのだ。

巨大な円筒上層式土器はフォトスポットになっている。

時遊館の入り口にはどでかい円筒上層式のモニュメントがある。
私は「そうそう、ここは円筒土器文化圏なんだよね」と誰にも聞こえない音量でうなづきながら呟く。
ここ青森を中心として北海道の道南部、岩手秋田の北東北は縄文時代前期から中期にかけて同じような円筒土器を作っていた円筒土器文化圏だ。縄文人の原寸大のフィギュアが木を伐採したり、狩りをしたり、何もせずに寝転んだりしている。展示室の中心には円筒土器のタワーがあり、私はしげしげとそれを眺める。

中段には土器を作る縄文人もいる。

「下段から上段にかけて土器が新しくなっていくのか…。おっこの円筒下層式の縄文の細かさったらないな」
円筒土器は一見地味な土器のように思われることがあるけど、実はそんなことはない。注目すべきはその胴部に施された縄目文様の緻密さや多彩さ、丁寧さにある。「なるほど、こう来ましたか」
「関東ではこうはいかないな」
と思わず声が出る。
円筒下層式の時期、関東でも多彩な縄目文様が施される土器が作られるが、ここ北東北の円筒土器は比べるとより緻密に施される。

美しい縄目文様


こちらは円筒上層式の逸品

円筒土器だけですっかりお腹いっぱいになってしまった私だが、デザートが残っている。いやこれもメインディッシュと言っても過言ではないだろう。そう、土偶だ。
三内丸山遺跡からは約2000体の土偶が出土していて、その数実に全国ナンバーワン。縄文時代全体の土偶の総数が2万点と言われている中で2千点はちょっとすごい数になる。

大小様々な板状土偶
大型板状土偶

土偶はほとんど十字形の形をした板状土偶という種類になる。しかし形が決まっているといっても意外と一つひとつ個性的でもある。
「かわいいな…この土偶」
と、思わず声が出るものもあれば、恐ろしい顔をしたものもいる。その代表が大型板状土偶だろう。恐怖に歪んだような顔をして怖い、まだらに煤のついた部分も何かがこもっているようで怖い。土偶可愛い派には悪いけど、かわいいだけじゃないのが縄文時代の土偶だろう。この土偶、照明の当て方も下からで展示自体も怖さを煽っているように思えるのは考え過ぎだろうか。

縄文ポシェット(撮影:小川忠博)

縄文ポシェットという可愛い資料に目がいく。ポシェットという言葉もあまり使わなくなったのは私の年齢のせいか、なんだか新鮮に感じる。

「へえ、5000年前でもこんなに綺麗に残っているんだな…しかもクルミが一つ」

そう、このポシェット、中にクルミが一つだけ入って出土したのだ。


時遊館から三内丸山遺跡に出ることができる。6本柱の建物、大型竪穴住居、広い敷地にはたくさんの竪穴住居が作られる。遺跡を歩きながらポシェットに入っていたあのクルミのことを考えている。
あのヤラセかと思うくらい出来すぎの出土品は考古学的にはもちろん、私のような縄文ファンにとっても雄弁だ。一つだけクルミを連れて5000年の旅をしたポシェット。どんな人が持っていたのだろうか。子どもだろうか、男性だろうか、女性だろうか、斜めにポシェットをかけていたのだろうか、腰につけていたのだろうか。

丘の上から三内丸山の集落を眺める縄文人の姿を思い浮かべる。私は自身の重たいカバンをしげしげと眺め、「現代人だからしょうがないんだよ」と呟く。誰にも聞こえないように小さく、それでいて5000年前の縄文人に届くように。

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