『土偶を読むを読む』2版が刷り上がりました。
『土偶を読むを読む』初版が出てひと月で重版が決まりました。やったー!
出足は悪くないのではないでしょうか。しかし、『土偶を読む』は3日で大幅重版と瞬足の出足を見せていたので、このくらいで喜んではいけないと自戒を込めて自身に言い聞かせています。
また、通常の重版であれば1版2刷ということになるのですが、2刷ではなく、2版1刷ということになりました。というのもいくつか初版からいくつかの変更点があるからです。
本の見た目で大きいのは本文の紙が変わりました。これは、初版時で使えた紙が品切れで、同じ銘柄の白色度の高い紙になりました。本当は落ち着いた紙色が好みだし、ナチュラルな色の方が目にも優しいと思っているのですが写真がくっきりするのと高級感が出るので、悪くはない変更かな、と。それと、付録に使っていた鼠色の紙をピンクに変えました。これはちょっと鼠色が思ったよりも沈んだのが気になっていたので今回のピンク色の方がいいんじゃないかなと思います。
内容に関しても少しだけ変更した部分があります。
『土偶を読む図鑑』の検証部分です。
・「縄文の女神」(154ページ)
この土偶は山形県の土偶ですが、「縄文中期の山形県ではトチノキ利用の証拠がほとんどない」との記述に対し、小山崎遺跡、市野々向原遺跡で、中期に遡る(小山崎は前期から)トチノキ種子が出ているのではとの指摘があり、もう一度調べています。
小山崎遺跡の報告書によると、前期のドングリの集積からトチノキの種皮破片が一欠片だけ出土しているが、流石に少なすぎるので、これは利用とは言えない(トチノキが周辺に生えていたことは分かる)。中期中葉にも少量出土しているが、山形県埋蔵文化財センターに問い合わせたところ、これも少量のため利用の始まった証拠とは言えないとのことでした。いずれにせよ小山崎遺跡は前期からコナラ(ドングリ)、オニグルミの利用が多く、中期になってクリの利用が増える傾向にあり、小山崎遺跡で明確なトチノキ利用が始めるのは後期中葉のようです。
また、市野々向原遺跡のトチノキ利用は中期末葉にトチノキ種子の集積が見つかっており、中期末葉にトチノキ利用が始まっていたことが分かるが、縄文の女神と同じタイプの土偶は中期初頭から作られており(縄文の女神は中期中葉大木8b式時期)、いずれにせよ時期的には重ならない。
・「三内丸山遺跡の大型板状土偶」(162ページ)
三内丸山遺跡、青森県でのトチノキ利用ももっと調べた方が良いとの指摘もあり、こちらも再度青森県埋蔵文化財センターに取材しています。
三内丸山遺跡と隣接している近野(遺跡)地区で中期後半〜中期末のトチノキ種皮の集積が見つかり、この頃にはトチノキ利用が始まっているようです。土器の型式でその時期を見ると円筒上層d、e式にあたる。しかし、板状土偶は円筒上層式のa~e式の時期まで作られ続け、板状土偶の出現期からしばらくはトチノキ利用が始まっていないことは変わりませんでした。ただし、写真の「三内丸山遺跡の大型板状土偶」自体は円筒上層d式期の土偶と考えられこれはトチノキ利用の始まりごろと重なっています。
より詳しく見ても、どちらも検証の○△×を変更するほどではないのですが、本文(または注釈)にその旨盛り込んでいます。
あと、何箇所か誤植と文字統一が取れていなかった部分を直しました(失礼しました!)。
(参考文献追加)
青森県教育庁文化財保護課 2017 『三内丸山遺跡44』青森県埋蔵文化財調査報告書588
山形県埋蔵文化財センター 2000 『野向遺跡・市野々向原遺跡・千野遺跡発掘調査報告書』山形県埋蔵文化財センター調査報告書71
山形県遊佐町教育委員会 2015 『小山崎遺跡発掘調査報告書』遊佐町埋蔵文化財調査報告書10
國木田大 2022 「縄文時代後半期のトチノキ利用の変遷」『北海道大学考古学研究室研究紀要2巻』北海道大学大学院文学研究院考古学研究室