小学校のグラウンドが一面の火の海に。日本一の野焼祭に行ってきた。後編
岩手県一ノ関市藤沢、野焼き祭の炎はだれもいなくなったグラウンドで少しづつ勢いを弱め、静かに朝を迎える。それでも真ん中のタワーだけがいまだに白い煙を立ち上がらせ、祭の名残を惜しんでいる。
窯に積もった灰の中から、思いおもいの姿形をした土器たちが取り出され、グラウンドのステージの前に置かれる。
そう、小学校のグラウンドを燃やした窯の炎は土器を焼くための炎でもあった。
あきらかに力作から、あきらかな手抜きのもの。1メートル近くあるものから手のひらにのるほどのサイズのもの、プロ(この場合プロとはなにかということも気にはなるが)級のテクニックの土器から、下手くそだけど熱い想いが込められたものまでまさに多種多様。窯から取り出されたそれらは、炎の儀式によって「洗礼」を受け、新たな人生を歩み始める。
ずらりと並んだ様は凸凹でも壮観で、それらを審査するなんて大変申し訳ないことではあり、大変気がひける。しかしこれも依頼された仕事だ、僕は任務を遂行することにする。
高校生向けのコンテストの審査の基準は(個人的に設定)、どんな願いを込めたのかだ。テクニックやサイズよりもそのものにどんな祈りを込めたかを重視することにした。
縄文の炎と言っても造形に縄文らしさは必ずしも重視しない(ハニワには厳しい対処をするが)。縄文時代の土器や土製品には何かはわからないが、何かしらの願いや祈りが込められていたのは確かで、もしそれを現代で再現するなら、僕はその祈りを込めるという行為を重視したいと考えた。
といっても今年から新設された高校生の部門「熱陶甲子園」参加の作品はまだまだ少ない。
全体の作品も含めいくつか紹介しよう。
こんな感じの作品が揃った。コンテストなので賞は決めたが、個人的にはそれよりもこんな祭がここに存在してそれに参加できたことが嬉しかった。
古来、縄文時代から、いやもっともっと前から人は炎のまわりに集い、食卓を共にし語らいあった。それこそが祭の本当の原点なのではないかと想像する。人は暗闇には集まらない。炎には人を集わせる力がある。
縄文の炎と銘打ってはいるが、決して縄文時代の野焼きを忠実に再現したものではない。それでもこんなに炎の魅力を感じることのできる祭りはあるだろうか。小学校のグラウンドを火の海にする盛大な炎の祭、藤沢野焼祭。来年は45回。僕もきっとまた参加することでしょう。夏、予定を空けて待っていてください。
追記:
藤沢野焼祭では岡本太郎さんが審査員として参加し、その炎に感銘を受け、現在の藤沢市役所には太郎さんの作品がいくつも置かれています。太郎さん、ヘリコプターで会場に登場したらしいです。
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