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『土偶を読むを読む』という書籍を出します。

一昨年4月に発売された『土偶を読む』。考古学の実証研究とイコノロジー研究を用いて、土偶は「植物」の姿をかたどった植物像という説(と主張する)を打ち出した本書は、NHKの朝の番組で大きく取り上げられ、養老孟司氏ほか、各界の著名人たちから絶賛の声が次々にあがり、ついに学術書を対象にした第43回サントリー学芸賞をも受賞しました。
……のですが、筆者はかねてから批判をしてきました。これは同書を読み、その間違いの多さと、「皆目見当違い」で破綻した内容、それにもかかわらず、この本は売れるだろうなとの嫌な予感に危機感を感じたからで、読んだ次の日に、『土偶を読むを読んだけど』をnoteで公開し、この本の説を簡単に信じてしまうであろうみなさんに、何本かの釘をさせたのではと思っています。
その時はこのnoteで「違うよ」という表明ができたので、筆者としては「今日はこのくらいにしてやろう」という気分でいました。
しかし、『土偶を読む』の快進撃は止まらなかった。筆者のnoteや多くの批判をも燃料にし、説自体の信憑性よりも、考古学界批判に重きを置いたそのプロモーションは、そのままサントリー学芸賞の受賞にまでつながりました。

昨年4月には『土偶を読む』の子供向け版というべき『土偶を読む図鑑』が発行されました。版元は小学館という大手出版社。図鑑や学習教材なども得意な出版社から出される図鑑。『土偶を読む図鑑』はその年の5月には全国学校図書館協議会選定図書にも選定され、小中学校の図書館にもこの図鑑が推薦されることになりました。小学生や中学生であれば、縄文時代について初めて触れる本がこの『土偶を読む図鑑』になる場合も多いでしょう。そして断定口調で語られるこの本の仮説をあたかも正しいことのように信じてしまうでしょう。

今月、4月28日に『土偶を読むを読む』という書籍を出します。これは『土偶を読む』の検証本です。
ご存知の通り、世間一般の評価と対照的に、『土偶を読む』は考古学界ではほとんど評価されていません。いや、相手にされていないと言った方が正確でしょう。それはなぜなのか、本書ではその非対称な評価の理由と、『土偶を読む』で主張される「土偶の正体」、それに至る論証を検証します。
本書は筆者のnoteの記事である『土偶を読むを読んだけど1〜3+番外編』を元にしていますが、ほとんどの土偶について取材をし、さらに詳しく検証しています。

単純なファクトチェックだけではなく、多くの研究者にも取材、協力、寄稿をしていただいたことで、考古学研究の現時点、土偶を中心に縄文時代の解像度をグッと上げる企画や構成の本になりました。土偶や縄文時代が好きな人、興味がある人、これから考古学の世界に入ろうとする人たちにも読んでいただいて参考になるものになっています。
そして、もちろん『土偶を読む』を読んで納得してしまった方達にも向けています。

『土偶を読む』をなぜ批判するのかといえば、開陳されているその考察は、事実の上に成り立っていないということが大きいからです。かねてから恣意的な資料の見せ方を批判してきましたが、もっと問題なのは、いくつかの事柄は、事実であるように見せるために「改変」もしています。これは瑕疵のように小さな傷ではなく、もっと本質的な部分にあたります。
さらに看過できないのは、過去の研究を都合よく利用した上で軽視し、さらに敵視する姿勢です。これははっきり言って不快で、出版後にはあらぬ批判によって、一部で風評被害まで起こしています。こういった謂れのない考古学界(専門知)批判が評価されていることにも憤りを感じています。

一度信じてしまった人たちが、簡単には改宗しないことも、この間で、よくわかったことでもあります。
これは事実ではないですよ、このデータは実際にはこういう意味のデータですよ、こんな事柄があるんですよ、と、いくら言葉を尽くしても、思い込んだ「物語」は頭から出ていかない。たとえ頭では理解しても気持ちは動かない。
「そうは言っても、こういうものを否定したら、自由な発想が出なくなってしまうじゃないか」、「縄文時代は答えがないのだから何を言ってもいいじゃないか」とは、僕も何度か言われている。
しかし、『土偶を読む』の説が学術に挑戦するのであれば、検証されることはまったくの本懐だろうし、ここまで売れてしまったら、当然内容にも責任が生じてくる。今さら「ネタですよ」と言ったとしても手遅れでしょう。
「答えがない」時代であっても、これまでの研究で「わかっていること」は一般の方が思っているよりもかなり多い。遺跡からはさまざまな縄文人の使った道具や、彼、彼女らの暮らした痕跡が大量に残されている。モノとして動かしようのない事象や、そこから導き出される合理的な推論は一般の方が思うよりも遥かに多く蓄積されている。それらを紹介する機会としてもこの場を借りたいと思う。
そして、「わからない」ことがわかることもまた学問だと言える。

可能であれば討論の場を作りたいと考えています。
編者 望月昭秀


といっても、内容は検証だけで終わらない。

実は本書では縄文の研究者へのインタビューに対談を企画している。さまざまな立場から縄文時代研究の現在地をお話ししてもらった。
はたして、『土偶を読む』を起点として繰り広げられた「考古学界」の古臭く、男権的で閉じた世界なのか、そういった視点でもお話を聞き、対談してもらった。

例えばサントリー学芸賞はこう言って『土偶を読む』に賞を与えた。
「この新説を疑問視する「専門家」もいるかもしれない。しかし、「専門家」という鎧をまとった人々のいうことは時にあてにならず、「これは〇〇学ではない」と批判する〝研究者〟ほど、その「○○学」さえ怪しいのが相場である。「専門知」への挑戦も、本書の問題提起の中核をなしている。」(佐伯順子(同志社大学教授)評、サントリー学芸賞・選評〔社会・風俗〕二〇二一)

「「○○学」さえ怪しい」と言われてしまった考古学者。そのことも考えてみたい。

「土偶とは何か」の研究史

資料的な価値も本書は持っている。
白鳥兄弟さんに「「土偶とは何か」の研究史」を寄稿していただいた。これは明治から始まり今日まで土偶とは何かとの研究の歴史だ。土偶のことを考えるのなら、まずは今までどんなことが研究され、土偶はどのように解釈されてきたのか。ここはおさえておくべきだ。
「こんなせめぎ合いがあったのか」とか、「編年学派三羽烏じゃん」とか、「この頃にこの土偶が発見されたのか」とか、「この頃にすでに芋説出てるじゃん」とか、「地母神説はこの辺りから言われてたのね」とか、いちいち興味が尽きないページになったと思う。とにかく抜き刷りにしてでも本棚に入れておきたい研究史だと思う。そして読んでみたい論文がここから見つかるかもしれない。


土偶の形態変化について

合掌・「中空」土偶→遮光器土偶→結髪/刺突文土偶の型式編年

北東北の土偶、後期後葉から晩期までの土偶の形態変化までを解説してもらったのは岩手県立博物館の金子昭彦さんだ。土偶研究者でもある金子さんに「土偶の流行」について寄稿してもらった。特に遮光器土偶ファンは必見だ。

考古学と人類学の関係史について

そういえば最近、人類学者が縄文のことを語ることって減ったよな、と古い縄文ファンは思っていたかもしれない。だからこそ、『土偶を読む』のような本が、多くの人文系の読者を獲得し、また知識人と呼ばれる人たちの心を躍らせたのかもしれない。
かつては一人の人間のように密接だった考古学と人類学の関係史。この論考もまた「読みたかった」関係史だ。
人類学と考古学のフィールドを研究する盛岡大学准教授の吉田泰幸さんに寄稿していただいた。

物語の語り手を信用するな!

「進化」の分野で、『土偶を読む』と同じような現象を引き起こした『進化思考』を痛烈に批判したデザイン学研究の松井実さんにもコラムをお願いしている。個人的には松井さんを勝手に同志だと思っている。

最後に「専門知」についても考えてみたい

専門知とはどんな存在なのか、どのように社会に寄与するべきなのか、パブリック・アーケオロジーとは何か。『土偶を読む』を一つのケースとして、どのように社会は「知」を品質管理するべきなのか。
東京大学教授の菅豊さんに寄稿してもらった。

そして付録も

付録として筆者も土偶の新説を『土偶を読む』の手法で考えてみたのでこれもみてほしい!結構上手にできました!

土偶を読むを読む
版元:文学通信 判型:四六判、432頁 
発売日:4月28日 定価:2000円+税
縄文ZINE編

皆さん、ぜひご指導ご鞭撻ご予約の方よろしくお願いします。
書店様もおいていただけたら嬉しいです。
図書館にもぜひ。

GW最終日、5月7日(日)に東京吉祥寺の「キチム」で『土偶を読むを読む』刊行記念イベント、「土偶を読むを読むを読む」を開催します。本の内容の紹介はもちろん今回このような企画の本を作った経緯から、本には書いていない裏話も紹介します。そして土偶マイムも!

こちらぜひご参加ください。オンライン/アーカイブ配信もありますので、お時間の合わない方、遠方の方はそちらでぜひ視聴をお願いいたします。

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