『土偶を読むを読む』が発売されました!
『土偶を読むを読む』本日発売です。同時に電子書籍の販売も始まりました。みなさまぜひとも本書を、お近くの書店で、またはオンライン書店でご購入いただければ!そして良いと思えば、ぜひまわりに広めていただけたら!
発売日ですと言っても、実は今週からあちらこちらで店頭に並び、配送もされていました。最近はあんまり発売日だからといって、「一斉に」ということはないようです(村上春樹は別にして)。
とはいえ発売日は発売日、しばらく取材をして時間をかけて書いていたものが形になりほっとしています。
この本の最初は版元である文学通信からの打診でしたが、すぐには返事はできませんでした。この本を作るべきか作らないべきかの逡巡は、僕なりに一通りしています。種々のタイミングや、縄文時代を今の時代がどう考えているのか、こういった企画を、今作る意義のようなことも考えた末の本です。
と言っても難しい本ではなく(少なくとも僕の執筆部分や全体の構成は)、堅すぎないよう、重すぎないように、特段の縄文時代の前知識がなくとも読めるように書いたつもりです。だからこそ変な例え話(河原で殺人事件があった話とか)が多いのですが…。
一つ事前に言っておかなければならないのは、この本の目的は、縄文時代の何かに触れて、それぞれにあーでもないこーでもないと想像や妄想することや、自分自身を重ねて共感することや、なんだかんだと面白がることを否定することではありません。
僕自身、妄想の楽しさを知っていますし、めちゃくちゃ得意でもあるし、それもまた縄文時代の魅力なんだと思っています。それにその妄想が縄文時代の何かを解き明かす鍵になることだってあると思っています。
じゃあなぜ、あえて『土偶を読む』を検証し、「違うよ」と言わなければならなかったのか、それは本書を読んでいただければわかると思います。
『土偶を読む』を簡単に正解だぞと評価する「知識人」の方々には忸怩たる思いはもちろんあります。『土偶を読む』の著者である竹倉さんの刊行後の考古学へのDisrespectも不快としか言いようがない。
が、それらにのせられ、迂闊に絶賛してしまった皆さんにはなんの非もないと思っています。こんなふうに書かれていたら絶賛したとしても仕方がない。むしろ、そういった方のために編んだよう本になっています。
ということで5/7には吉祥寺キチムで『土偶を読むを読む』刊行記念イベントを開催します。本に書いていないことや取材の裏話も含めてさらに本書を立体的に楽しめる会になると(いいなと)思います。配信/アーカイブ視聴もありますよ!本とあわせてよろしくです!
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