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フリーペーパーあるあるな話と呪いの言葉

呪いの言葉なんて言うと、ブードゥやら悪魔的なものを思い浮かべるかもしれないが、ここで言いたいのは呪術師や魔術師は出てこない。最近一部で話題になっている「呪いの言葉」だ。
これは思考の枠組みを縛る様々な「なんとなく嫌な気分にさせる言葉」で、例えば「母親なんだから」とか、「嫌なら辞めればいいじゃん」とか、なんとなく自己嫌悪に陥らせてくるような呪いがかけられている言葉だ。

フリーペーパー周辺にも「呪いの言葉」は存在する。

フリーペーパーなんてものを作っているとよく言われる言葉が「儲かるのそれ」。
で、全然お金にならないと言うと「じゃあ趣味だ」と言われる。言った方はたいして悪意もないんだろうけど、なんだかバカにした言葉だなと思っている。
多少認知度が上がり、メディアに取り上げられることが増えてきた最近はそれほどでもないのですが、作り始めた当初はよく聞いた言葉だ。
これもまた深刻ではないにせよそれもまた一つの「呪いの言葉」なのだと思う。

まあ確かに結構な労力がかかっているわけだから多少はお金になればいいなとも思っているし、そう言われてもしょうがない気もするが、儲からないことをやることを蔑むようなニュアンスを感じることも少なくなかった。
そういう手合いには、「じゃあ趣味だ」と言われたら、こちらとしてはこう思うんだよねと正直に言うことにしていたんだけど、みんな微妙な顔をしていた。儲かること=えらい。儲からないこと=偉くない。という単純な図式が彼らの中にあるのだろう。

フリペで儲かっている人はいない

何が言いたいかと言えば、だいたいフリペで儲かっている人はいない中で、フリーペーパーを作りたい、とか、ZINEを作りたいって思って、時間的にも金銭的にも少なくない犠牲を払って、誰かに読んでもらいたいなんて、本当はすごいグレートなことで、それは世の中の幅を広げていくことだということが言いたいのだ。
たとえばそれを求めている人がごくごく少数だったとしても。

社会の方向性を決めたりするのは大多数の最大公約数で、「ある程度」は異論はないのだけど、世の中を面白くするのはそこからこぼれ落ちた少数派だと思っている。少数だしたいして共感も得られないからお金にならないんだけど。それを面白いと思う世の中になればいいなと思う。
儲かるとか読者は誰とか、大して打率の良くないマーケティングは抜きにして自分が面白いと思ったことを発信する作品ってその存在だけで意味があるし、確実に世界を面白くしていると思う。だからそういう人を白い目で見ることって、巡りめぐって世界をつまらなくしているだけなんだということが結局は言いたいのだ。
これは縄文ZINEの話だけではなく、「お金にならないことを本気でやっている人」を白い目で見るより、むしろ憧れるべきだと僕は思っている。

役に立たないこととか、お金にならないことを白い目で見るなら、食べ物に味なんていらないし、おしゃれだってする必要はない。色気のない道を歩き続ければいい。面白いこととか楽しいことはだいたい合理性の外側にあるものだ。

わけのわからないフリペは儲からないゆえになかなか続かないのが玉にきずではある。それでもマーケティングやらニーズやらを考えない個人の個人のための個人の好きなものを詰め込んだ創作物ほど面白いものはない。世界は誰かが思っているよりも広くて深くて面白い。

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