縄文時代は信頼資本主義社会だ
縄文時代のことをよく考える。
あの土器かっこいいなとか、あの土偶ヤバいな、とか、あれ、あいつあのアニメキャラに似てないか? なんてことばっかり考えてる。そんなことがライフワークのようになり、しまいには縄文時代の雑誌を作り、縄文時代に関する書籍も何冊か出版することにもなった。6月に「縄文人に相談だ」の文庫版、7月に蓑虫山人という明治初期の縄文おじさんの単行本が出ます。どうぞよろしくお願いします。
よく遺跡に行ったりしている(今はもちろん全然行けてないのですが)。何もない遺跡や誰もいない考古館で縄文人の生活を想像してボーっとしたり、学芸員や専門家の皆さんのお話を聞いたり、自分のイベントで縄文人の気持ちに近づくために物々交換なんてやってみたり、そんなことを繰り返していたら、ある確信めいたことが頭に浮かんできた。
本当は怖い物々交換
まず重要なのは縄文時代にはお金がなかったということだ。貧乏とかそういったわけではなく、お金という概念がなかった。僕自身イベントで物々交換などをやっていて、そこでこんなことがあった。
すごく良いもの(あえて抽象的な価値判断をする)が欲しいと思った参加者のAさん、本当なら自分の持っているもの何かと交換すべきところそれも惜しいと思ったのか、また物々交換のルールとして「何と何を交換しても良い」ということを逆手に取り、その場で誰かから紙をちぎってもらい、そこにマジックでたいして上手くもない絵を描き、颯爽と物々交換の場にあった「良いもの」と交換していった。言っておくがAさんは画家でも漫画家でもイラストレーターでもない。その絵に価値を見出す人は世界で一人もいないはずだ(失礼)。もしかしたらAさんは自分の絵と交換することを「粋」だとかそんなことも思ったかもしれない。その場のルールには反していないわけだからホリエモン的な人は全然いいじゃんとか言い出すのはわかっている。が、小さな集落、集団の中でこれをやったとしたらどうだろう。多分Aさんはクソほどに嫌われ、二度と何も交換してもらえなくなってしまうはずだ。よく考えてみれば自分が良いものだと思って置いていったものが、誰にとっても価値の見出せないものと交換されていたら、誰だって自分自身を損なわれた気分にもなる。お金に代替されてされていないモノは自分自身が乗りやすいものなのだ。
この事件で物々交換とは恐ろしいものだということがわかった。なぜなら物々交換でやり取りをしていたのは実はモノでもお金でもなくお互いの(生々しい)信頼だったのだ。
逆に好かれる物々交換とは、実際の値段ではなく誰かにとって価値のあるものだったり、明らかに自分が儲かるようなことをしないことが大切だ。仲間の証として交換していったり、交換というよりも贈り合う方がより縄文的かもしれない。
縄文時代は原始社会主義社会などと言われたりするけれど、僕は「信頼資本主義社会」なのではないかと思っている。
Aさんはそういった人物なんだ、自分が得すればそれでいいんだと思われてしまいまった。この一件でAさんの信頼という資本は酷く目減りした。
縄文時代が信頼資本主義な理由はもう一つある。
まず重要なのは縄文時代は文字がなかったということだ。縄文人は自分の口から出る言葉で、その言葉のみで意思を伝え合っていた。文字を知ってしまった僕たち現代人にとってそれは想像しずらいことかもしれない。しかしそれでも問題ないどころか、大きな争いも起きず、(もちろん縄文時代の中で色々変化はあったとしても)同じような文化が1万年以上続いていた。
文字がないということは、どうしたって言葉の重要度が上がるということだ。何かを約束するとしたら、今では「信用ならないこと」の代名詞のようになっている「口約束」が、これこそが唯一絶対の正式な約束となる。「暖かくなってきたころ、この木の下でこの木に花が咲く頃に会いましょう」と約束をして、もしその約束をすっぽかしたとしたら電話もLINEもないわけですからその二人は二度と会えなくなってしまうかもしれない。
逆を言えばそもそも嘘を付く人間とは約束できないということになる。当たり前のことだ、約束とは約束する相手の信頼だけが担保になる。重要な約束であればあるほど一度でも約束を守らなかった人間とは約束できない。
だから「縄文時代、嘘ついたらマジ嫌われる」のだ。
物々交換での不平等交易と同じように嘘を付く人間は嘘をつくたびに信頼という原資をなくしていく。逆に約束を守れば信頼は増えていく。
縄文時代は何かを貯蓄できるような時代ではなかった。お金もない、食料だってたいして保存できない、そんな時に唯一貯蓄できるものは信頼を置いて他になかったのだ。
縄文時代にまで遡れば流石にわかるはずだ。なぜ嘘をついてはいけないのか。
このnoteは政権批判のために書いたわけではない、ただ、書いていてそうとしか思えないなとも思っている。
なにわともあれ金儲けもいいけど、信頼儲けも大切だよなという話。