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14 公募と愛校心

公募で書類落ちが続いていた自分が面接に呼ばれるようになったのは、審査する側に大学への愛着があることに気づいてからである。

ある大学の学長が、自分の大学は偏差値が低いと嘆きつつ、そういう学生を愛してくれる教員を求めているとも言っていた。そこで気づいた。一部の教員は自分の大学を好きであることに。

当たり前だと思われるかもしれないが、そんなこともわかっていなかった。

特に人事選考を任されるような教員は、他大学に出ていかない(いけない)ベテラン管理職か、それなりに仕事ができて学生を見捨てていない人であることが多い。そういう人たちの目を意識する必要がある。

書類においても面接においても、大学への愛着を軽視してはいけない。
「こんな大学でも」「雇ってくれればどこでもいい」と思っているのが少しでも伝わると評価が下がる。
反対に「この大学だからこそ」「ここでなければ」と嘘でも言える人は評価が上がる。そこまでヘコヘコする志望者は滅多にいないのか、非常に好感度が高いようだ。

ポスドクでも教員でも、応募書類に「この組織だからこそこういう仕事がしたい」「組織に貢献したい」と書くと、途端に面接に呼ばれるようになった。単に業績が増えてきて機が熟しただけかもしれないが。

審査する側は志望者の謙虚さに敏感である。研究能力が微妙でも、長くいてくれそう、言うこと聞きそう、変なことしなさそう、学生に好かれそう、円滑に会話ができそうな人は採用される。
反対に、挫折を知らなさそう、明らかに踏み石扱い、言うこと聞かなさそう、野心があって面倒なことを言い出しそうな人は、たとえ研究能力が十分あっても敬遠される。
これらは一流の研究大学では関係ないことだろう。しかし自分が教育大学で内定をもらうには、こういう戦略が有効だった。

そうして自分が採用された大学では、すぐいなくなりそうな優秀な若手より、論文の質は微妙だが絶対に定年までいてくれそうな50代が採用されていた。若さは大事だと言われるが、そうとも限らない。

授業のうまさより研究のすばらしさより、御しやすさ。進んで同じ穴のムジナになる気があるか。そこが見られているように思う。