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すべてはノンフィクション

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最近の記事

41 明るいことを書きたい

うつ病になりそうだ。 帰りに人気のない道を歩いていると涙がこぼれてくる。 本当は明るいことを書きたい。 初めて任期無しで雇っていただいてアパートを借りたときのこと。「この家は研究で借りたものだ」と感動した。 研究室、研究費、定年までの居場所を与えていただけたこと。 研究室に来たらゴミ箱が空になっていて驚いたこと。研究室の掃除を他人がしてくださること(今の大学はしてくれない)。 すぐに愚痴が挟まる。 現在の勤務校には、よいところのある学生がたくさんいる。悪い方にばかり

    • 40 「先生、年収いくらですか?」

      飲み会で学生から年収を聞かれた。 はぐらかすが、しつこい。 年俸制なのか。手当はあるのか。1千万円を超えるのか超えないのか。 あの手この手でヒントを得ようと質問を挟んでくる。 かつて勤めていた教育困難校でも、一人だけこの質問をしてきた学生がいた。 それでもしつこくは聞いてこなかったものだ。 それなりの大学に移ったはずなのに、またこれか。 前任校では一度も聞かれなかった。もし聞く学生がいればまわりの学生が諌めてくれたはずだ。 こんな質問をされる時点で私は教員としてなめら

      • 39 知らない星で息ができない

        大学を異動してから、まったく言語がわからず、酸素もない星に来たかのようだ。 職務に関する説明がないことが辛い。いきなり「これを決めてください」「この委員をしてください」「人を探してください」「ほかの先生との業務を仕切ってください」と指示が飛んでくるが、なにも説明がない。 どの会議には出る必要があり、どれはないのか。入試を作れと言われても様式と過去問はどこにあるのか。ほかの先生の連絡先は。教員、職員、どちらに質問しても「私もわからない」または無視しか返ってこない。 そもそも

        • 38 「単位をよこせ」テロ

          学生による不正があった。指導教員が問いただすと、当人も不正を認めたので、単位を認定しないことにした。すると学生は「単位をくれなければ死ぬ」と言い出したそうだ。この単位に卒業がかかっていたのである。 ひたすら死ぬと繰り返し、普通の精神状態ではない。生命の保護を第一とし、反省の態度が見られれば単位を認定したいが、どう思うか。 このように同僚から相談された。 相談というか暴力である。学生は学生で、自分の命を人質に脅してくる。また指導教員は「私は単位をあげたかったが同僚が止めたので

        マガジン

        • 大学教員のしょぼい愚痴
          14本
        • 公募戦士
          2本
        • 大学教員の退職
          4本

        記事

          37 名誉教授がやたら来る

          私の前任者であり、今は名誉教授になられた先生が、大学に来る用があるとメールをくださる。私が使っている元自分の研究室に来たいのだと思う。大学に来ても自分の居場所がなくなったように感じて寂しいのだろうか。 以前勤めていた大学でも、名前も顔も知らない名誉教授が、この研究室を前に使っていた者ですと言って訪ねてきたことがある。だからなんだと思ったが、そうなんですかと対応してしまった。すると翌週もやってきた。それからたまに来るようになってしまい困っていた。 ある日、床に新聞紙を敷いて

          37 名誉教授がやたら来る

          36 まだ死にたくない

          過労死しそうだ。休みがない。 土日は入試や外部組織の委員や出張で潰れている。自宅が仕事の合間に帰る給水所みたいな位置付けになってくる。 現在の大学は仕事量が多いのもあるが、予定が急に入ってくるのがきつい。2週間後の土曜日に出勤してくれとか、今日ハンコを押すために大学に来てくれとか。 子供、老人、病人のように一人で置いていけない家族がいたら成り立たない。 今の学生はメールを見る習慣がないのでLINEで繋がりたいと言うが、これ以上不意打ちの連絡を増やさないでほしい。応じられる余

          36 まだ死にたくない

          35 公募戦線に復帰しがたい理由

          現在の勤務校は、本来私のような三流研究者が就職できる大学ではない。時の運、科目適合性の高さ、年齢構成上の需要、雑用への強い期待などがあり、奇跡的に滑り込めた。つまり私は不相応な地位におり、これ以上の異動を考える必要がない「すごろく上がり」の状態にある。 色々と手を尽くしてみたが、現在のファカルティの同僚とうまくやることは諦めた。もう定年退職してくれるのを待つと決めた。主要な方々が辞めるまでに15年かかる見通しだ。待てなくもない。 しかし、校風というものはそう簡単には変わらな

          35 公募戦線に復帰しがたい理由

          34 意外と自分が老害だった

          教員がパーティー係を務める「お楽しみ会」。教員同士で「やってられないですよね」と言い合って「でも皆でやっちゃいましょう」と協力しあえたなら、案外楽しかったんじゃないかと思う。 実際には文句を言えない雰囲気だし、教員同士の協力もない。 例えば公式飲み会で、まだ片付けが残っていようが自身が幹事だろうが、同僚の先生方は「お先に失礼します」と素早く消えてしまう。残された自分と学生が場を締めて、費用を清算する羽目になる。 例えばメールで「誰か意見ありますか」と聞かれ、誰も反応しないの

          34 意外と自分が老害だった

          33 老兵の背中を見ない

          恩師を「老害」と感じるようになってしまい、そんなことを誰かに言えるはずもなく、悩みに悩んで始めたnote。 この恩師も最近は連絡をよこさなくなり、共通の知人に「若い人は忙しい。みんな冷たくなって寂しい」とこぼしていたらしい。自分もその一人かと思うと胸が痛くなる。 しかしもう連絡は取りたくない。先生が悪いのではない。多分どういう接し方をされても、こちらの受け取り方が悪いから関係は悪化する一方だろう。 今までなんでも受け入れてきた先生からの頼みを断ろうと決めたとき、もう先生の葬

          33 老兵の背中を見ない

          31 大学の講義は長すぎる

          小、中、高校の先生方のnoteを読みまくった結果、今日の講義はいつもより良くできた気がする。 とはいえ本当のところはわからない。学生がしきりに頷いてくれても内容が全く伝わっていなかったり、つまらなさそうに見えても思索にふけるがゆえの真顔だったりする。 それでも学生はまだ正直な方である。大人向けの講演ではフロアがよく笑ってくれるのでつい安心してしまうが、大半が社交辞令である。最初から「なにかあったら笑おう」と思って話を聞いてくれている人が多い。 とまれ、自分なりにベストを尽

          31 大学の講義は長すぎる

          30 もう無理かもしれない

          現在勤めている大学に違和感があるのは、教員が学生を招いた飲み会の幹事をすること。学部も大学院も。 自分のゼミの学生となら、それも仕事の一部だと思うので頑張る。 しかし学科単位や研究科単位で、所属教員と学生を招いた飲み会をたびたび開かなければならない。それもフォーマルな店ではなく普通の居酒屋で。 特に疑問なのは、新入生のための親睦会を開き、教員の日程を合わせ、学生の出欠を取り、ケータリングを頼み、ゲームや出し物をすること。 すごい底辺大学みたいに見えるが、入試上は一応難関大学

          30 もう無理かもしれない

          29 教育困難大学の思い出

          前回「老いて学生への受容度が上がった」と書いたが、間違っていた。単に大学を異動したおかげで教員にとって扱いやすい学生に囲まれるようになっただけなのかもしれない。 かつて勤めていた教育困難校にも尊敬すべき学生はいたが、悩まされ、驚かされることの方が多かった。 ・志望大学は通学距離で決める 「家から近いからこの大学にした」という学生が多かった。偏差値や学費は理由にならない。 ・基本的に学校は嫌な場所 学校は自分を落ちこぼれさせた場所。教師は敵。教室でやる気がありそうにしている

          29 教育困難大学の思い出

          28 学生がかわいい?

          大学に勤めて間もない頃は、教員と学生のミスマッチが起きやすい。教員のタイプをよく知らずにゼミや授業を履修されてしまうので、お互いに期待が外れてうまくいかないことが多いように思う。 在籍期間が長くなると、「あいつはこういう教員だ」という評価が学生の間で共有され、自分に合った学生が集まってくれるようになる。 その成果なのか、今年度はかなり居心地がよくなった。 さらに不思議なことに、学生がなにを話していても面白いという謎の境地に至った。もちろん困らされることもあるが、基本的には自

          28 学生がかわいい?

          27 研究者とうつ病

          20年ぶりくらいにしっかり休んだ。最低限の仕事だけして、研究に関係ない本を読んだり、好きなだけ寝たり、休むことに専念した。原稿の締切はあるが、後からでも間に合うと考えて手をつけなかった。 そして一週間。死にたいと思う気持ちはなくなった。 仕事の依頼を断り続けたおかげでこの時間ができた。こんなに安心して過ごせたのは10代以来だと思う。 研究者を志したときから、publish or perish (出版か死か)と教え込まれ、いつも身の丈以上の仕事を抱え、頼まれたことはなんでも

          27 研究者とうつ病

          26  勤務校を愛す

          職場の悪口しか言っていなかった自分だが、ある教授の最終講義を聞いて己を省みた。 「ここはよくわからない大学だった」 「この学部で自分は外様だった」 「まあ別にそれでいいんだけど」 こうはなりたくない。 大学行政に責任を負う中枢にはいられず、周辺においてもなんの役割も果たせなかったからこそ、こういう言葉が出てくる。 「この大学にいられてよかった。雇ってもらえてよかった」 「最初はジャングルかと思ったが最高の学部になった」 そう言って去りたいではないか。 自分の所属を愛し

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          24 選択定年

          とある名誉教授が早期退職について書いた文章があり、もう何度も読んでいる。 この先生は、早稲田大学の教授として本来であれば70歳まで勤められるところを、66歳に早めて退職されたそうだ。退職後に周囲から「全然変わらず元気そうだから仕事を続けたら」と勧められても、年寄りは若い人たちの邪魔をすべきではないと書いている。本当にすばらしい心掛けだと思う。ほかにも参考になることが多々書かれており、自分も真似したい。 もちろんこのサイトを見る時というのは定年退職した先生がいつまでたっても

          24 選択定年