どうして茅葺きを残したの?⑤岩野さん
茅葺きのお話シリーズ第5段
こんにちは。
茅葺き屋根の住人の方にインタビューを行う「なぜ茅葺きを残したの?」のコーナーです。
今回は第5弾、山田を飛び出してお隣の淡河町に住んでいる岩野さんにお話を聞きました。
戦争中にたった家
岩野さんの家が建ったのは、戦時中の昭和18年。
その前、家がどうだったのかは、生まれてないから知らないそうです。
戦時中になぜ家を建てたのか、どうしてそのタイミングなのかも知らないんだとか。
神影に写真家の方がいるようで、淡河の古い写真を集めた写真集があります。
その中に、建設当初の岩野さんの家の写真を見ることができました。
つい最近まで茅葺き屋根だった
岩野さんの屋根はトタンの被った瓦屋根になっています。
しかし、瓦にしたのは3年前とのこと。
本当につい最近までは茅葺きが見えるお家だったんですね…
どうしてトタンをかぶせたのか聞いてみると、
理由は「手間がかかるので。」
「ちょいちょい世話したらいいけどほっといたら荒れ放題になる。大変。」
とのことで、やはり維持管理が大変なんですね…
上から瓦をかぶせるのは2ヶ月くらいの工事だったそうで、
瓦の色などは特にこだわりなく、職人にお任せしたとのこと。
リフォームはしましたが、茅葺きの家を潰して新築にすることは考えなかったそうです。
全面の葺き替え
戦時中に建った家ですが、葺き替え工事は過去に2回ほどしているそうです。昭和に1回、平成1回、次に3年前のトタン工事です。
50年前の昭和の葺き替えは、岩野さんも手伝ったそう。
茅葺き職人が。5、6人くらいで来て、棟梁さんに指示を出されたそうです。
その時代には茅葺き職人がたくさんいたそうで、当時野瀬の屋根屋さんであるさわださんにお願いしたんだとか。
そして平成の葺き替え工事は20年前。
その当時も、岩野さんは職人さんのお手伝いをしたんだとか。
職人さんもまだいたようで、口コミで吉川の人にお願いしました。
ネットで調べたりとかはしないんですか?と聞いたら
「茅葺きって、ネットの業界じゃないでしょ。」
と言われ、確かに。と思いました😅笑
このように、葺き替え工事は20、30年に1回やっていたそうなのですが
全ての面を一気に葺き替える、いわゆる「全面葺き替え」をやっていたかたに話を聞けたのは初めてでした。
山田で話を聞くと、一面ずつやったという話を多く聞いていたので、
昔の人はそうだったのかな?と思ったけどそうではないみたいですね。
しかし、茅の集め方は一緒でした。
大きな茅場は特になかったようで、その辺の川に生えているものを刈りとり、ずっと屋根裏にためてたそうです。
岩野さんのお家も先祖代々農家。自分でできることは自分でしないといけないという言葉が印象的でした。
実際に屋根裏に入らせてもらったのですが、はしごで屋根にのぼり、
鎖を引っ張って狭い窓から屋根裏に入りました。
結構スリルがあって面白かったです笑
今は入ることはそんなにないそうですが、昔はよく隠れ家みたいな感じで遊んでたんだとか。
今でも多くの茅が残されていました。
好きだけど手間がかかりすぎる。
そんな岩野さん、茅葺きのことはどう思っているのでしょうか。
「茅葺きは好きで、いいなとは思っている。でも手間がかかりすぎる。」
とのことでした。
昔はどこも茅葺きだったけど、余裕ができたら瓦の家が増えてきたそう。
お金もなかったので、屋根に使えるものが茅しかなく、瓦の家に変えることができるのは金持ち、という印象だったようです。
戦後、瓦の家やトタンの家が増えたそうで、そこは山田と同じ理由でした。
まとめ
たまたまかもしれませんが、山田との違いを発見することができました。
一つ目は、家の古さ。二つ目は葺き替えの方法です。
山一つ超えただけで、違った話が聞けるのは面白かったです。
もしかしたら地域によっていろいろな違いがあるかもしれません。
今後も山田だけでなく、他の地域の茅葺きのお話も聞きたいなと思います。