民主主義のよさは様々な知恵を集合できるところ

組織は情報処理の機能として存在する。この仮定で話を進めるとすると民主制というのはどんな組織形態だろうか?分散的なようでいて主体が複数あり、最終的に結論を出すようなものだろうか?
トップダウンのようでもあり、ボトムアップのようでもある。脳のシナプスと意識みたいな関係に似ている。シナプスが意識を作ることもあれば、意識に従い、その行動の結果をフィードバックしてシナプスが書き換わることもある。
それぞれの欲望を調整するために民主制というのを運用するとあまり意義が感じられないかもしれない。選好は多様であり、制度は硬直性がある。なので民主制の結果として生まれたものと個人とでは必ず齟齬が生まれるだろう。
むしろそれぞれの専門性を集め、学際的な議論をし、何かを決定したほうが民主制に近い気がする。では公共の役割はなにかというと最低限の生活環境を用意することではないだろうか?ナショナル・ミニマムという言葉がそれに当たるかもしれない。ベーシックインカムもそうだ。構成員が生きていなければ、その専門性を発揮できないし、そうなれば民主制が機能しないからだ。
人は様々な専門性を持つ。そこが人類の強さだ。それを学際的にゆるくまとめ専門性を活かす。そうなれば民主制といわれるような状態になり、それぞれの知恵を活かすことになるのではないだろうか?

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