損したと思う事が 一番の損かもしれない だけど、損したと 思う事は悪い事じゃない
嬉しい事があっても、 悲しい事があっても、 今日も陽の光は温かいね。
*今からする話は私個人の意見であり、 決して傷つかないようになる 方法論の話では無いです。 私は今まで自分が傷つかないように、 人と距離をある程度とってる節があって。 マインドセット統合という言葉を出していく、心理のワークをこの間やった時に、気付いたことがあった。 (あれ、私、人を守りたがってる?) すごく、すごく附落ちした。 そして、あぁ、そっかぁ!! なんだ〜私、優しいじゃん!ってなった。 人と距離を取りたいのは自分が傷つきたくないからでもあるけど、他人を傷付
目の中にゴミが入れば、痛いということ 涙が出たら、目の前がぼやけるということ 笑いすぎたら、お腹が痛くなるということ ご飯を食べたら、お腹が満たされるということ 悲しいものは、悲しいうちに。 美味しいものは、美味しいうちに。 それがいつもその時に ちゃんと味わえるということ。 谷川俊太郎さん風に詩を作ってみた。 谷川俊太郎さんの詩、大好き。 谷川俊太郎さんの【生きる】という詩も大好き。 沢山の詩をありがとうございました。
この間私は現実に対して拗ねた。 現実に対してばーかって暴言吐いた。 でも、私が今こうして生きてるのは、御先祖様達が命を繋げてくれたからで、 現実がちゃんと命を守るためのものを、くれたからだろうなと思った。 どの時代も、みんな何かを守ったり、戦ったり、輪を広げたりで生きてきて、ちゃんとそういう、いのちの働きがあったからだろうな。 だとしたら、ばーかじゃなくて、ありがとうだよね。 現実に。 どの感情も自分や他人を守る為で、出てきてもいいけど、最後はありがとうに落ち着けたら
たまにはさ 現実のバカヤロー ぐらい思ってもいいと私は思うんだよね その後 軌道修正して 生きていければいいと私は思うんだよね だって 人ってそんなに強くないんだもの
嫌な事があった時は あえて 嫌な事の中に入っていく 嫌な事の中に入った時 "嫌"というものは "嫌"でなくなる そんな気がするの
私たちは満たされる権利がある 私たちは満たされる権利があるんだ その権利を棒に振ってはいけないよ その権利を掴んでる事にちゃんと気づくまで
知識の上では いい言葉や、乗り越え方や、 耐え方は分かるのだけど、 知識で乗り越えられないこともあるね。 頭で分かってはいるけど、 どうしようも無いことってあるね。 それでも確かに分かるのは、 心臓の鼓動がいつも脈打ってること。 それだけだね。
ひとつの命が終わって また別の命が始まって 命が連なって 私たちはずっと繋がってる どんな事があっても 私は君が生きたいのちを忘れないよ
何かを否定するには あまりにも知識・経験が乏しい だけど 否定したくなるのです 何かを肯定するには あまりにも知識・経験が乏しい だけど 肯定したくなるのです それでいいのです
つまずいて 擦りむいて 痛い思いして とぼとぼ歩いて お腹空いて ご飯食べたら いつの間にか笑顔になってた 私の中で、人生ってこんな感じなんよな。
私はたまに、この世界で生き抜くのは 戦場に出向くのと同じ気分になる事がある。 とても毎日気が張ってて、正直怖い。 楽しい事にフォーカスすれば、 楽しいのだろうけど。 本来なら武器なんて持たないで、 お花を渡してほっこりする…というのが 私の理想なんだけど、 なかなかそうはいかない時もあるよね。 自分に花向けの何かを毎日与えてあげたい。
知識を持って人をジャッジしてしまうのなら、 知識なんてなくていい。 それよりも血の通った話をした方が、 よっぽど人は救われるものだと私は思うから。 前まで私は人の事を、知識があるが故に ジャッジしてた。 それが悪い事ではないけれど、なんだか 悲しい事だと思うんだ。 人なんて、美味しいご飯食べて、 温かいお風呂に入って、 温かいお布団で眠れれば、 元気になれるものでしょう…?
最近知った、素敵な言葉。 昔の中国の人の言葉らしい。 この言葉のように生きれたらいいなぁ。 と思うと同時に、 なかなか難しいよなぁとも思う。 こういう言葉のように生き切ってみよう。