偸盗の祀り
西村明治は数学の授業を終え、午後九時前に駅前の予備校を出た。彼は制服の上にライトグレイのコートを羽織り、紺のマフラーを巻いていた。そうして手袋をはめながら、肩から自動ドアを潜り抜ける。季節は十二月。暦では大雪で、七曜は金曜だった。
最初の交差点で明治は一人、他の生徒らと離れる。とはいえ逸れた方角が彼の帰り道なので、特に不自然な挙動ではない。目立つといえば度重なる咳払いだけれど、それも季節柄さほど特異ではなかった。だから誰も気に留めなかった。
灯影が散乱する夜景の中を明治の後ろ姿は次第に遠ざかり、やがて薄闇に溶け込んで見失われる。凜々とした凍て風が、鞭じみて厳しく吹きつける夜だった。
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暮らしのなかに突如として〝僕ら〟という語が割り込んできた。
このところ会話やメールの相手からよく怪訝な顔をされ、もう一度同じことを訊き返される機会が多い。そして今までの話ぶりや、テキストボックスに打ち込んだ文章を顧みると、自分の主語が複数形になっているのに気づく。たとえば『私はそう思う』となるところを、『僕らはそう思う』なんてぐあいに。
もちろん即座に〝私〟と訂正する。また一言ずつ味わうように丁寧に話をし、したためた文章は舐めるように見直す。しかしどんなに注意を払おうと、いつのまにか一人称が〝僕ら〟と滑らかにすり変わる。まるで金曜の夜が明けて、土曜の朝になるみたいに。このようなことが、しばしば起るようになった。
具体的な理由はわからない。だが問題の発生時期と、これかもしれないという心当たりはある。
半年前に厄介な病気で入院した。咳と微熱が数週間も続くので、精密検査をしたところ、担当医からそんな沙汰が下されたのだ。期間は二ヶ月。対して、異変の起点は四ヶ月前になる。ちょうど退院した直後だ。
また入院中の僕ら――私は誰かと話がしたいと常に願っていた。主に人間の身体と、健康の所在について。
続く