ボディシェアリング
人間にとっての進化とは、できなかったことができるようになったり、知らなかったことを知り、人生の幅を広げていくこと、ざっくりというとそんな風に思っていたのに、所詮は私の小さな価値観の中での話なんだとも思う。というのも、ボディシェアリングという技術がもうすぐそこまできていることを考えると、なにか根底から価値観が覆されそうな気がしているから。自分が体験していなくても、感覚や感情がシェアできるようになったとしたら、自分一人の人生のなかで経験する以上のことをだれもが経験できるようなり、そうなると意外とこのそれぞれが断絶の中にいる空気も変わって、また何か新しい価値観やシステムが生まれるのだろうか。だけど、やっぱり新しい技術のことを考えるとそんな明るい面もあるのにも関わらず、やっぱり怖いのは危険な面のこと。とくにボディシェアリングは、自分の意思とは関係なく自分の身体が動かされてしまうという点があるが、これを何に使うかが非常にセンシティブではないかと思う。だってこんなことも、あんなことも、沢山こわいことできますよね?ということが、頭を駆け巡ってくるわけです。本来はそんなことはいっさい考えず、ただ楽しいことだけを考えられるような平和な世界ならよかったのにね。
けれど、この平和という価値観だって19世紀に作られたもの。それまで散々戦争しまくってきた人類が、ようやく、もううんざりだ…となって、そうなってからヨーロッパで作り出されたのがpeace。平和。むしろ、それまではなかったなんて、逆に衝撃だ。しかも19世紀なんて、わりと最近だし、私の勝手な感覚では、昔から平和という概念はあったという気がしていたんだけど….
こんな状態であるから、やっぱりボディシェアリングなんて技術が世の中に浸透してきたら、やっぱりネガティブなことのほうが起こり得る気がして懸念されて仕方ない。でもそれをいっちゃえばいやな事例は起こるだろうけれど、新しい技術への好奇心や、わくわくする気持ちも当然あるので素直に喜べないこと自体が、もどかしい。
こうした選択は人生のなかで幾度となく、容赦なく、降り掛かってきます。ゆえに、柔らかさはジレンマに自ら飛び込むことでしか醸成されません。それでも、素敵な世界になることを目指して踏み込めるかというのさ、己との勝負でもあります。人間には、ミラーニューロンという相手を鏡写しにする細胞があります。ミラーは鏡。他人は自分の鏡、自分は相手の鏡。そうやって反響するものがあるのであれば、ひとりひとりが自分のことを成熟させることができるようになったら、また一歩、別のステージへと上がるのかもしれない。….し、そうでもないのかもしれない。(わからない😹😂🤯)
人間が精神的に安定するためには、そもそも、いい環境と教養、そしていい人間関係。この三つは最低限必要ラインだと思っているが、この三つを確保するまでにも苦労するだろう。
となると、人類にとっての進化は、まだまだ先のお話なのでしょうか。それとも、そんなことを何かのテクノロジーがヘルプしてくれるのでしょうか。これもまたわたしにはわからないお話です。こんな感じで、わからないことだらけなのに、わたし含めて本当によく生きていますね、みんな、よくやっていると思います。
そんなよくやっているわたしのYouTube
たんなるお絵描き動画ですが…暇な時にでもご覧ください。
ミッドナイトインパリという映画では、黄金時代と呼ばれた過去に憧れる売れない作家が、夜のパリでタイムワープ?してしまったのか、なぜかその黄金時代にいってしまいます。そこで、ありとあらゆる偉人たちに出会い、交流する。なんてうらやましい。
過去のいいところだけを夢見て、憧れてしまうそんな甘っちょろい主人公は、少しだけ私と似ています。
なかでも、ダリとヘミングウェイは強烈。笑
ダリはすごくダリっぽいし、ヘミングウェイもまさに思い描いてた人物像の通り、理屈っぽくて、変人で近寄り難くてこわい。けど、なにを言ってるか聞いてると、すごくまともだぞ…となる
あとは傘を差さない雨のパリ。ウディアレンらしい、たらたらしたしゃべり。浮気ものの婚約者、うんちく垂れるいやみなキザ男。キャストがやかましい笑
ウディアレンの映画は、まさにウディアレン。あのしゃべりはなんなのか。(あぁ〜…はじまった)と思うのに、嫌いになれない。タラタラタラタラよく喋る人間を、嫌いにはなれないという、なぞの気持ち。なんなら映画にご本人登場、ってパターンもあるし、映画のなかで死んだりもする。ミッドナイトインパリには出てこないので安心してください。
古いのに鮮やかです。おしゃれ。サントラもかわいい。超すき!ってわけでもないけど、心に残る。それは、あんな時代に私も生きたかった!!と何度も願ったことがあるから。そんな甘い考えに一石を投じてくれます。
まぁ、硬くならず、ゆる〜りと観れる映画です。