世界の見え方を変える本『デーミアン』
ヘルマンヘッセの「名作」だから読みにくいことを覚悟していた。でも、ドラマのようにひきこまれてしまう。主人公はふとしたきっかけで知り合いに弱みを握られ窮地に陥る。助けたのは級友デーミアン。でも本当は…
デーミアンは、観察眼と視線で人の行動を操ることもできる超能力者。
人をよく観察することはできるけどね。なにを考え、なにを感じているか、かなり正確に言い当てることは可能だ。それができれば、これからその人がなにをするか、たいてい見抜けるわけさ。簡単なことだけど、だれひとりその方法を知らないだけ。できるようになるようには練習が欠かせない。
デーミアンは、見えない力で主人公を魅了し、主人公が、進路に悩み、酒に溺れたりと、道を外れそうになる度に、先に進んでいく手助けをする。
「きみがなんのために酒を飲むのか、ぼくもきみもわかっていない。きみの心の中にある命の源はそれをわかっている。ぼくらの胸中には、すべてを知り、すべてを欲し、ぼくらよりもなんでもうまくやってのける存在がいる」
そのうちに、主人公は、自分の心の中に何かを感じ、デーミアンが現れなくても人生に現れる一人一人が自分を導く存在だと思うようになる。読者も主人公の心の葛藤に延々付き合わされていく中で、段々その先にあるものがこれではないかとか思えてくる。ストーリーの中で一貫しているのは、外の世界にあるように見えているものが実は自分の中にあるということ。
「わたしたちが見ているものは」「心のなかにあるものと同一なのだ。わたしたちが心に抱えているもの以外に現実などありはしない。」
特に次の言葉は、世界の見え方を変える。
「だれかを憎むとき、そいつのイメージを憎んでいるのだ。しかもそれは憎む側のなかにあるなにかだ。そもそもわたしたち自身のなかにそれがなければ、わたしたちの心が動くことはない」
この見え方を心にとどめておけば、他人に対する憎しみで自分の心を疲弊させたり行動を起こしたりする前に、冷静に見つめなおす余裕がもてるようになるかもしれない。私達の心を動かす憎しみの対象のイメージは憎む側の中にある。
さらに、この小説の描かれた時代背景を知ると、この言葉は、一つの見え方に身を任せていた読者一人一人に向けた壮大なものではないかと想像してしまう。
この作品を描いた当時、ヘッセはドイツの戦争継続を批判し、裏切り者と批判されていたという。戦争を推し進める祖国の言動を一人の作家が正面から批判しても聞き入れられなかったに違いない。
でも、この小説を読んで心の葛藤の旅を主人公と共にした読者が、一面的な世界の見え方に疑いをもつようになったら。扇動されている憎しみの対象が、国の外ではなく内にあるかもしれないと思うようになったら。一人一人の世界の見え方が変われば、世界自体が変わっていくのではないか。
世界の名作にあこがれて読んだ、ヘルマンヘッセの本は、自分の世界の見え方を変える本だった。他の世界の名作小説はあまり読んでいないけれど、もしかしたら名作といわれる本には、読者の視点そのものを変える本が混じっているのかもしれない、と期待をもって読み進めることにする。
デーミアン、最後まで読むと、どんでん返しが待っている。学校で孤独な時代を過ごしたことのある読者なら心を鷲掴みにされる余韻のある結末。私達はデーミアンから勇気をもらって先に進むのだ。