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わたしの「自然」観念

こんにちは。うつ病休職エンジニアの三十郎です。

自己紹介らしいものをしていなかったので、このタイトルで自己紹介させていただきます。私は北海道の主に十勝地方で生まれ育ちました。前作の朝ドラ「なつぞら」の世界です。摩周湖のある弟子屈町にも住みましたし、大学は室蘭で過ごしました。

1.大自然に抱かれた?

私の中では自然に抱かれて育った意識は無いです。松山千春の「大空と大地の中で」の歌詞は(同じ十勝人として)理解できますが、大自然のイメージは特にわきません。私には、当たり前すぎです。町がある、人が暮らしている、それだけで大自然から隔離されていると感じていました。

北を眺めれば、青白い大雪山連峰が見え、東には大平原が広がり、南には町並み、西は狩勝峠。憧憬は、ただそれだけです。

都会で生まれ育った人には、贅沢に聞こえるかも知れませんが、すっかり開墾され、土地は畑に生まれ変わり、十勝川の氾濫も無く、国道や農道の整備された環境は、私には大自然を感じさせませんでした。

2.唯一、大自然を感じたもの

その中で私が大自然の恐怖を感じるものは夜空でした。都会と違い、町外れで街灯も無く、窓明かりだけしかないその場所は、満天の夜空を見ることができました。

それを見続けることは、私にとっては何よりも恐怖でした。なんだか自分の体が星空に吸い込まれそうで、恐ろしくてたまりません。自分のちっぽけな存在、大宇宙のきらめく星たち。その対比が、圧倒的過ぎて本能的な恐怖を感じてしまうのです。ロマンチックさなど、欠片もありません。

一人だと怖いのですが、友人と一緒に草に寝転び、長い時間、360°の天然プラネタリウムを眺め続けたとき、不思議と恐怖を感じませんでした。どちらがたくさん流れ星を見つけられるか競争していたのです。今まで気づかなかったのですが、2~3分に1回ものペースで流れ星があることが分かりました。流星群が来た夜空ではありません。普通の夜空に、これほどたくさんの流れ星があるのは発見でした。

北の大地で、私が唯一、大自然を感じさせるもの、それが夜空でした。

3.自然との向き合い方

この原体験が影響しているのでしょう。人間なんて、大自然に比べれば何とちっぽけな存在なのかと。子供の頃に体験した都会は、父型の祖母が住んでいる札幌市でした。巨大な都市は、私に未来へタイムスリップした感覚を与えました。

しかし、それすらも、大自然の猛威の前では、小さな存在でした。毎年、大雪に襲われ、人々は生活様式を変えざるを得ない状態だったのです。札幌では家の構造が十勝と違います。1階が打ちっぱなしのコンクリートの基礎。もちろん人が住む所ではないのでガレージになっています。そして2階からが住居。大雪に悩まされるので、そのような家が増えていました。

私が住んでいた十勝の家も変わりました。子供の頃は、本州の家と同じ作り。当然、真冬の寒さには耐えられないので、隙間風が入り込まないよう、秋には巨大な透明のビニールシートで家まるごと、ぐるぐる巻きにして冬に備えていました。それでも冬の朝は、家の中は氷点下まで下がります。金魚の入っている水槽は凍っていました。

今では壁が変わり、外壁と内壁の間に大量の断熱材が入っています。壁がとてつもなく分厚くなったのです。北海道は地震の多発地帯ですが、本州のように民家が倒壊することは、先ず、あり得ません。壊れるのは、倉庫や牛舎ぐらいです。地震に強い家をハウスメーカーがテクノロジーで競い合っていますが、私からしたらナンセンスです。壁さえしっかり作れば、家は倒れません。自然との向き合い方が分かっていないなと感じます。

4.現代社会

「地球が温暖化している」、「巨大な山火事で住む場所が無くなった」、「地震で家が倒れた」、「津波で家が流された」、「台風で屋根が吹き飛ばされた」。被害に遭われた方には気の毒だと思いますが、そんなことは人がああだこうだ言ったって、自然には関係ないことです。

自然に逆らおうとするから、自分が被害者だと思うのです。自然は人類がこの世に出現する遙か昔から、そこのあります。その自然を克服しようという人類の考え方が傲慢なだけです。「仕方が無い」で片付けるのが、一番賢いです。

何も環境汚染を肯定しているわけではありません。自分たちが汚したから「仕方が無い」なのです。自然に逆らうと、しっぺ返しを喰らうのが「仕方が無い」なのです。現代社会においても、自然の前では未だ人類はちっぽけな存在に過ぎないのです。

5.私とうつ病

現在、私は、うつ病で休職中です。これも「仕方が無い」なのです。己の能力を過信し、「できないことなど無い」。「永遠に成長し続けられる」と勝手に思い込んだ結果なのです。人間は必ず老います。老いた自分を想像する謙虚さが無かった。私は余りにも自分のことを知らなさすぎたのです。

人体も自然の一部です。私は人体、特に脳とどのように付き合ってゆけば良いのか、残りの人生のテーマにしました。その手段として、私が最も有効と考える「科学」の力を使っていこうと考えています。何故なら、多くの人に伝えるのに、最も敵している(再現性がある)と考えるからです。

私は、私が体験したこの病気にかかる人を、一人でも少なくしたい。それは、とても幸せなことだと信じるからです。「病気から学ぶこともある」などと無責任に言う人がいますが、学べることは「健康のありがたみ」です。病気に良いことなどありません。健康第一。私はそう信じます。


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