不可逆的あさりバターラーメン
セブンイレブンで『あさりバター風カップラーメン』なるものに出会い、それを食べた。
事実はたったこれだけだ。
しかし私は、そこに三つの【不可逆】があることに気付いてしまった。
第一の不可逆
まずこのカップラーメンは、《じわとろ》をコンセプトに掲げている。
ただ3分待てば良いだけの代物ではないのだ。
この商品を語る上で外せないのが、付属の『バター状ブロック』の存在である。バターではないらしいが、見た目も匂いもほぼバターだった。
ホテルの朝食についてくるバターのようなパッケージが乾いた麺の上に置かれているのは私にとってはあまり見慣れないもので、ミスマッチ感が印象的だ。
お湯を入れ、
3分待ち、
そのブロックを溶かす。
……私は脂質にめっぽう弱いので、『バター』の誘惑に耐え切れずすぐにこのステップを踏んだ。
これが第一の不可逆だ。
私は、「バターを入れる前のラーメンを味わう」選択肢を捨ててしまったのだ。
悔しかった。
しかし、後悔する私の鼻腔をバターの匂いがくすぐると「もう……いいや」というマインドにされた。単純といえば単純だが、それだけ魅力的な芳香だったと思ってほしい。
第二の不可逆
バターが溶け出したラーメンは当然美味しかった。
あさりの味がしっかりとする汁に、まったりとしたバター。
安価なカップラーメンであると同時に、どこか"つゆだくのボンゴレ・ビアンコ"のような贅沢さがある。
箸が止まらない。
麺が箸に引っ掛からなくなってもなお、汁の中をまさぐる。
これ以上はだめだ。
最近筋トレとかもしてるのに。
しかも汁はほぼボンゴレである。
パスタのボンゴレのつゆを飲むことの行儀悪さに対して、この場合はカップに口を付けて飲んだって誰に責められることもない。
だめだ!
だめだ……!
ラーメンを一滴残らず胃の中に収めてしまったことこそ、第二の不可逆であった。
恐いので総カロリー数は見ていない。
第三の不可逆
コンビニやスーパーはカップラーメンの陳列方法を心得ているので、私はまんまとそれに乗せられてしまう。
これまでも幾度となく新顔の商品を見ると「おっ?」という感情のまま連れ帰ってきていた。
今回のあさりバターラーメンはその中でも当たりだったと思う。
ものすごく美味しかった。
あれだけのカロリーを腹に貯めた私に語彙なんて必要ない。
だがしかし、次に私がセブンイレブンであのラーメンを買う時、それはすなわち『再会』なのである。
初めてあのラーメンを買って、食べて、味に感動する、その過程を踏むことはもうできないのだ。
「バターを入れないで食べてみる」のはもう一度買ってしまえば試せるし、「摂取カロリー」はなんとか消費さえできればどうにかなる(はず)。
あさりバターを完食するプロセスにおいて、「初めて」という付加価値だけが、最も不可逆的だった。
おわりに_デブ理論
よく友達とご飯を食べに行くと決まって口走ることがある。
「美味しいものって一口目が一番幸せなんだよね」
「二口目以降はその料理が"なくなっていく…"と思っちゃうから悲しくなるの」
「料理を食べることは"終わりの始まり"だと思ってるから」
私は本気でこう思っているので至極真面目な顔でこれを語ってしまう。
すると決まって引かれてしまうのだが、確実に共感されるはずだと思っているのでその反応は不本意だ。
この理論はしばしば「デブの考えじゃん」と言われる。(BMI的にはまだセーフなので今のところは一笑に付すようにしている。)
でも今回のあさりバターの一件で、私の中のその理論はさらに確固たるものになった。
美味しい物には必ず不可逆性が伴い、そしてそれは私を悲しくする。It makes me sadである。
きっと私は今後もこの理論を提唱し続けるだろうし、あらゆる美味しい食べ物と出会うたびにアップデートしていくと思う。
私の理論を確信させてくれたあさりバター風カップラーメンに、そして、あさりバター風カップラーメンを創造したエースコックに感謝を。