![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/160783107/rectangle_large_type_2_630610970a911b04c6ebcee7422986d6.jpeg?width=1200)
鹿の辻斬り
山の中、細長い緩やかな斜面エリアに、鹿誘引のヘイキューブを十か所程度の木の根元に置き、前日に私とペアの猟師二人で四か所の罠をかけていた。
あくる朝、その場所に軽トラで乗りつけた。
まだペアの男性猟師は来ていない。約束の時間より少し早い。先に一人で見回りしようと車を降りて歩き始めた。
罠のある場所四カ所を一度に目視で確認することはできない。奥に長いエリアなのでゆっくり一か所ずつまわっていく。
早朝、私の住む地域は霧が出る。山の木々の間は見通しが悪く、さらに冬の入口の朝日も頼りない。かすかな日光の中、一人、さくっさくっと草を踏み分けながら進んでいた。
靄(もや)の奥、一頭の鹿が私の姿を見て、サササっと立ち上がり逃げようと動いた。
「かかっている・・・」
雌のようだ。角がある雄であれば危険なので、銃で撃つが、雌であることが分かれば、銃を使わず鉄の棒で頭を叩き、昏倒し意識を失ったところで頸動脈を切る。
そんな重たい気持ちを無理やり思いめぐらせていたら、すぐ奥の場所でも何かが動く気配がした。
「もう一頭いる・・・」
こちらは少し小さい。雄か雌かはわからないが、角が無いのでこの鹿も棒で叩く方がいいかもしれない。
先に見回りを進めよう。
迷ったり考えたりしながら、鹿二頭の姿からひとまず少し遠ざかり、次の罠を見に行く。最初の罠から一番離れている最も奥の罠の位置に何か茶色の物体が見えた。
小さくて足が短い。
「あ、猪のこども・・・」
合計三頭が罠にかかっていた。
全部を見回り、軽トラに戻ったとき、ペアの男性がやってきた。
「おはよう」
「おはようございます、三つかかってます、鹿二頭と猪一頭」
「え、そんなに?」
「ええ、どうします?撃ちます?叩きます?」
そういう会話をしている間に、彼はもうナイフを手に持っていた。
フットワークも軽く、猟友会でも頼りになる年齢層に属し、てきぱきと動く人で、私の少し先輩でもあるので、いろいろと教わることも多い。
だけど、彼の動物に対する仕打ちも態度も考えも言葉も好きになれない。彼といると、なぜ、こんなことをするのかと目を覆いたくなる場面に遭遇することが多い。
そもそも猟友会のベテラン猟師の人たちは、崖の上から鹿を蹴り落としたり、息がまだ残っている鹿を足で蹴ったり踏みつけたり、証拠物である尻尾を切り落としたりする者が多く(そうじゃないマトモな人も勿論いるが)、その扱いの酷さに大きな悲しさを覚える。
そんなベテラン猟師の姿を見て、カッコいい猟師はこう振る舞うんだ、と思っているのか、今日のペアの彼も、動物に対する酷い行為をカッコいい、と思っているフシがある。
そこには、感謝という文字はない。
だから、今日も嫌な予感がした。
ジビエの講習や、ジビエハンターの学びを受けている人であれば、理解が速いと思うが、我々は鹿や猪に感謝をし、大切に扱う精神性を持つ猟師を目指していかなければならない。正しい知識を身につけることが、これからの猟師に求められる。
鹿や猪は食材になるので、山からずるずると手足を持って引きずって出てくるのはもってのほかだし(そり等に乗せて運搬するべき)、命が消える瞬間も苦痛を最小限にするよう、我々猟師の考えを改めるべきだと常々思っている。だが、多くの猟友会の男性たちにとって、獲物はただ自分の手柄の数のカウントにしかなっていないのが現状。鹿は獲ったあと無残に廃棄される。自分の手柄という感情はおそらく明治の頃と何も変わらず今もそっと息づいているものなんだと思う。
件の彼は、一頭目の鹿に近づくやいなや、木を挟んで、罠にくくられた鹿の前足をつかみ、ぐっさとナイフで胸を刺した。
「叩くから待って!」
同時に私が声を上げても聞いていないのか、
鹿が大きな悲鳴を上げた。
この鹿の声を聞きたくないのだ。
額を叩かれ意識を失った鹿は、刺しても鳴かない。だが、彼のナイフは頸動脈を一撃で切っておらず、もう一度刺すのが見えた。もう一度、意識のはっきりしている鹿は大きな悲鳴を上げ、その声は山中に響き渡った。
血が噴き出す。
彼が、べっとりついた鹿の血を、倒れた鹿の身体の毛でぬぐうのが見えた。
私は鉄の長い棒を持って立ち尽くしていた。アニマルウェルフェアの観点からいくと、まず、眉間を叩いて昏倒させ、白目が出てきて、意識がなくなった状態で胸か耳下の頸動脈を切る。そのまま、意識が無い状態で鹿は苦しまずに数分でこと切れる。
マニュアル上の手順でいこうとしたが、既に手遅れだった。鹿は痛みで悲鳴をあげながら、血を流しながら、横たわったまま今もずっと荒い呼吸をしている。傷口が下になったので、血の勢いがよく見えない。
「(頸動脈に)当たったような気がするが」と彼は、足で無造作に鹿の頭を蹴った。ぶらんと力のない鹿の首と頭が反対側に倒れた。
仰向けにさせて傷口を確かめている。
鹿は細い息になっていた。
そして彼は、すぐさま二頭目の鹿に近づき、同じように前足を捉えてナイフをぐっさり刺す。
追いかけながら「待って!叩くから!」という私の声が聞こえているのかいないのか、私がとろいのか。
余談だが、箱罠に鹿がかかっているときは、箱の外から棒で叩いて失神させることができないので、塩ビ管などを通したロープで頭を保定し頸動脈を圧迫する。鹿が気を失う。そして、保定したまま意識のない状態でナイフを刺す。角がある雄鹿であれば少し離れて槍で突く場合もある。
二頭目の鹿の悲鳴が上がる。
まるで辻斬りだ。
彼はそんな自分をカッコいいと思っている風に見える。
「猪はどこ」
「一番奥」
「大きさは」
「子ども。小さいかな」
「なら、刺そう」
鹿の血がしたたるナイフを持ったまま彼は私の前を歩く。
この男、全然カッコよくない。
(妻子持ちだし、もともとタイプでもないし、別に興味もないが)
作業時間の短縮には一役買ってはいる。
こんな力技が常習化しているのなら、この男、いつか自分の力を過信して怪我をするだろう。
私は新米の鬼みたいに鉄の長い棒を持ったまま情けなく後ろをついていった。
猪の小さな子ども。
ウリ坊のシマシマ模様は消えているが、盛んに私たちを威嚇し背中の毛を逆立てて大人顔負けの威勢の良さでこっちに突進してくる。お母さんに教えてもらったのか、生きようとする本能なのか。
鹿とは勝手が違う。
罠にかかってはいるものの、まるでコンパスの鉛筆の方みたいに、木を中心にグルグル走り回る。
動きは止まらない。
猪の場合は口を保定具で保定し、身体の動きを止めてから叩いて昏倒させるのが正解だが、鹿二頭と同様、向かってくる猪の胸を彼はナイフで刺そうと取り組む。猪は動きが俊敏なのでなかなかナイフが上手く刺さらない。足を持つと噛まれる恐れもある。
私も棒で叩こうと応戦するが空振り二回。その間にも私の長靴の間をフガフガフガと走り回る。よろしくない状況だ。
遂に、昏倒する前に、何度目かの彼のナイフの一撃で倒れた猪。
「叩いて気絶するのを待ってよ!」
「なんで」
この男、とにかくなんにもわかってない。
自分が同じことをされたら、どう感じるだろう。
私の習ったやり方がこの世で一番正しいわけではないかもしれない。
だけど、鹿や猪だって感情を持っていて、人が近づいてくることの恐怖やストレスを感じている。そしてしかも刺されるのだ!もし瞬時にその場で測定出来るなら、恐怖のレベルとストレスは最高値を示すはず。
確かな科学者の研究でも、ストレスのかかり具合や疲労や餓えによって肉質が変わることが、解体後の肉のphを測定することで証明されている。
ということは、息を引き取る間際に苦しみを最小限にしてあげることは、鹿や猪にとっても、肉を頂く私たち人間にとっても良いことであり、そのために私たち猟師はいかに迅速に止め刺して放血するのかについて研鑽を重ね、命を頂く技術を上げ、学びを続けていかなければならないと思う。
彼は、私の勉強意欲を掻き立てる存在であって、きっと私に必要な人なのかもしれない。
唯一の長所はセクハラをしてこないことだ。
山の中、ほとんど毎日二人で過ごすが、嫌な発言もないし変な態度もとってこないので一緒に長時間いてもストレスにならない。不思議な男だ。助かっている。
ズルズルと鹿を引きずりながらトラックまで進んでいく彼の後ろ姿を見ながら、ああ、この鹿のお肉は食べられないだろうなと思いつつ、私の一日が始まった。