幸い、自分には鈍感力が備わっている。 幼い頃に鍛えられた力だ。 親の喧嘩の怒鳴り声、叫び声、 物が壊れる音、身体が転がり落ちる鈍い音 あ、なんだろう、、 そういえば、泣き声は聞いたことがないな。。。 雑音を消せる鈍感力。 自分を守るための手法。 悲観的ではない。 それを学んだから、今まで生きてこられた。 耳にツイた言葉は、受け流す。 異音。騒音。雑音。 心の耳を塞げば、全部無音。 学んだ、実力。 それを今まで、散々に使いこなしてきた。 使いこなす度に、
#自分にとって大切なこと お題をいただき、ありがとうございます。 すぐに思い浮かぶことだったので、投稿させていただきます。 自分で言うのはおこがましいですが、、、 私は日頃、「ありがとう」をよく使う方です。 自分に出来ないことを誰かがやってくれた時 自分が出来ることでも誰かがやってくれた時 ん?!なんか幼稚園児みたい?! イヤイヤ、40代半ばです。 前者は、当然と言えば当然のことだろうと思う。 自分に出来ないことを相手がしてくれているのだから、感謝でしかない。
noteを始めてかれこれ2週間、、 一度は文章を投稿したものの、その後が続かないでいる 考えて考えて、、 考えて疲れたので、これを書いている 何かネタは無いかと常々スケジュールに残している言葉たちを見直した そこには、その日その時に感じた言葉たちがたくさん並んでる でもそのほとんどが 箇条書きだッッ!( ̄▽ ̄;) どれもこれも突発で短編的で、 結果、何を言いたいのか、、 自分でもわからないところがある 自分の性格が丸出しのスケジュール 死ぬ前になにがしたいか
40半ばにもなると、見たいものと見なくていいものを瞬時に判断してくるようになる。 良くいえば、鈍感力 悪くいえば、無意識の正当化 それは「無視」することと似ている。 無視。。。 その意味は、存在価値を認めないこと。。。 40半ば。 今まで生きてきて、目の前の一人一人に向き合ってきたつもりで、、居る。 でも、本当は大事なことをやり過ごしてきただけなのかもしれない。 目の前の一人 その命は尊い その信念は変わらない。 けど、 自分を守るために、鈍感力が身についた。