刑務官の素顔とは? 序章
受刑者と刑務官の関係
受刑者と刑務官の関係は、昨今大きく変わったという。
それは、2022年に名古屋刑務所で起きた暴行事件を機に変化した。
事件の詳細や第三者委員会の提言など、下記をご参照いただきたい。
「オヤジ」と呼ばれていた良き時代
明治・大正・昭和・平成・令和と時代が流れている。
私が収容されていた施設は、多くの職員が昭和生まれだった。
50歳代の職員は経験豊富で、人間として味のある方が多かった。
そもそも、「オヤジ」と呼ばれるのは意味がある。
施設にいると頼れる人が居ない。相談できる人が居ない。
そんな中、拘置所の担当職員や刑務所の作業工場の担当職員が、
本心を唯一見せることが出来る、数少ない人間となる。
そして、職員もそのことをよく理解している。
未決拘禁者(拘置所の収容者のこと)や受刑者が、どのような状態で
収容されているか、また不安や心配が募っているか知ってくれている。
なので、自分の父親のように頼り、頼られる間柄になることが
「オヤジ」と、呼ばれる由縁なのだ。
なので、誰にでも「オヤジ」というのは間違っている。
自分の担当をして下さる職員にだけ「オヤジ」と呼ぶのが正しいのだ。
女性刑務所では、職員のことを「おふくろ」とか言うのだろうか?
手が出せた時代
平成の前半は、結構な頻度で職員が殴っていたそうだ。
口で言っても聞かなければ、手を出すしかない。
ただ、顔を殴ってはいけない。傷が残るからだ。
武器を手にしてはいけない。ケガするからだ。
あくまでも【見えない所】にちょっとダメージを与えたらしい。
ただ、この話はある職員の「独り言」なので、どこまで本当か不明だ。
当時を知る方がいたら、是非実態を教えて頂きたい。
監視カメラは要注意
独り言にはリアルな続きがある。
それは、監視カメラには注意していたという点だ。
刑務所には至る所に監視カメラが設置されている。
そして、そのカメラをモニタリングしている職員が別室にいる。
何十台というカメラを常時モニタリングしているのだ。
少し覗き見たことがあるが、黒板ぐらいの大きさのモニターに、
全てのカメラ映像がリアルタイムで表示されていた。
慣れない人にはかなり大変な作業だろうな、という程の大きさだった。
そして、その映像はトラブルの際、重要な証拠となる為、
ある一定期間録画されているという。
なので、カメラに写る角度をよく知っているそうだ。
つまり、【死角】を知っているということである。
ここまでが「独り言」なので・・・結構真実味があると思う。
【監獄法】明治から約100年間変わらない法律
監獄法という法律をご存じだろうか?
これが上記事件の頃、刑務所の処遇などの論拠となっていた法律だ。
明治41年に成立・公布された法律である。
ちなみに、同年に成立・公布された法律といえば、
【軍艦水雷艇補充基金組入ニ関スル法律】
【陸海軍召集諸費繰替支弁ニ関スル法律】
【陸軍・海軍刑法】
時代を感じることが出来るだろう。
当時の日本の出来事は、
第1次西園寺内閣総辞職とか、
第1回ブラジル移民が渡航するとか。
ちょっとピンとこない。
世界に目を向けてみると、
第4回夏季オリンピックがロンドンで開催されたり、
(今年のパリオリンピックは第33回大会)
ブルガリアがオスマン帝国から独立を宣言したり。
結局はピンとこない。
つまり、それだけ昔なのである。
そして、時は流れ平成の世となり、
すべてのトリガーとなる事件が発覚するのだ。
名古屋刑務所の受刑者死亡事件
2001年(平成13年)に起きた受刑者死亡事件その1。
保護室内の受刑者に、消防用ホースを用いて肛門に多量の放水をし、
暴行して死亡させる。
さらに、翌年に起きた受刑者死亡事件その2。
保護室内において、受刑者に革手錠のベルトを巻き付けて強く締め付け、
腹部を強度に圧迫するなどの暴行を加え死亡させる。
さらにさらに、その僅か4か月後に違う受刑者に同様の暴行をして
重傷を負わす。
これは、受刑者が起こした事件ではない。
【刑務官】が起こした事件なのだ。
これが機にになり、刑務所の運営は大きく変化していくことになった。
監獄法から刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律へ
事件をきっかけに法改正が行われた。
平成17年から順次制定・施行された。
そして最終的に上記法律が平成19年に施行され、監獄法は廃止となった。
同じ刑務官としての見解
とある職員はこうボヤいていた。
『名古屋刑務所の事件でやりにくくなって、やっと慣れてきて。
そうしたらまた名古屋刑務所がやらかしただろ?
これからやりにくくなっていくわ・・・。』
しかし、別の職員は違う見方をしていた。
『あれは、同情するところもある。なんせ名古屋は大変だからな。』
名古屋刑務所は、下記の男子受刑者などが入所している。
・犯罪傾向が進んでいる受刑者
・日本人とは異なる処遇を必要とする受刑者
・心身に疾患を有し治療が必要な受刑者
私が収容されていたのは【初犯刑務所】と呼ばれる施設。
名古屋刑務所は【累犯刑務所】と呼ばれる施設。
入所の回数が平均4.3回であり、6回以上が約28%もいる。
さらに高齢化も進んでいるし、暴力団加入歴がある者も多い。
なので、ある程度実力行使も「止む無し」と、いうのが本音のようだ。
しかし、事件の内容がよろしくなかった。
事件の起きたタイミングと、事件の背景が最悪
まず時期の問題だ。この事件が発覚した2か月前に、
【懲役・禁錮刑】に代えて【拘禁刑】が創設されたばかりだった。
時代は懲罰から教育へ、作業よりも改善指導へ向かい始めていた。
その最中発覚したのだ。
そして、事件の背景がさらに問題視された。
刑務官22名(うち、採用3年以内の20歳代が17名)が、
知的障害等の疑いがある者を含む3名の受刑者に対し、
約10 か月間にわたり、
400回以上の暴行・不適正処遇行為を繰り返していた。
まるで絵に描いたような、THE不適切案件である。
詳細は下記URLを参照してほしい。
受刑者目線 良い点・悪い点
私は、上記の令和5年に行われた提言書を跨ぐ形で収容されていた。
その為、大きな変化を具体的に感じることが出来た。
そんな私が感じた良い点・悪い点は以下の通りだ。
【良かった点】
・理不尽に怒鳴られたり罵声を浴びることが極端に減った
・呼称が改善された(呼び捨てから「〇〇さん」と敬称がついた)
・購入できる日用品が増えた
【悪い点】
・今までは、怒鳴られてその場で怒られれば見逃してくれていた
些細な問題行動が、一発で「調査・懲罰」となってしまった
・職員と関係に距離が生まれた気がした
・騒ぎを起こす未決拘禁者や受刑者への対応が緩くなり、
所内の規律の維持が難しくなっていく気がした
刑務官のことを書いていこうと思う
私がいた施設には、とても素晴らしい人格者がいた。
それと同時に、今でも思い出したくない酷い方もいた。
受刑者は刑務所という環境で「罰」を受けると同時に、
一般社会に適合するよう「更生・矯正」されていく。
と、いう体だが、実際は全く違っている。
今の刑務所では、「更生・矯正」など出来ない。
結局は、入ったままで出てくる。
結局は、変わらない。
ただ、出会った職員でそれは大きく異なると思う。
どんな職員がいたか、次回から記憶の限り書いていきたい。
次回からは、【1日につき1職員】で。
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