日本のゲーム音楽がヒップホップに与えた影響
序論
本研究では、1990年代から2000年代までに発売されたビデオゲームが、アメリカでどのように受容されているかを、ゲーム音楽のサンプリングから生まれたヒップホップ音楽を通して分析する調査を行なった。
この時代設定は自分が90年代生まれで、幼い頃からビデオゲームに慣れ親しんできたことに端を発している。同世代の米国の若者がゲームをどのように受け止めてきたかを知ることで、自分を新しい角度から客観的に捉え直すことができるのではと思ったのが、研究の動機である。
またゲーム音楽にスポットライトを当てるにしても、およそ半世紀以上のビデオゲームの歴史がある以上、年代をある程度絞った調査を行うことで、その他の分野における研究の参考にもなるのではと思い調査に臨んだ。
ゲーム音楽に限らずビデオゲームカルチャーへの注目は2019年現在で世界的に大きくなっていると見ているが、この研究がそういった動向を追う上でも何らかの役に立てれば幸いだ。
一章では日本のビデオゲームが国内外でどのように消費されたかをまとめている。それに続くゲームソフトとゲーム音楽のサンプリングが行われたヒップホップをまとめた表を解釈する手助けとなるはずだ。
二章ではいくつかの楽曲を例に挙げつつ、なぜアーティストがゲーム音楽をサンプリングしたかについての分析を行った。
三章では2010年以降90年代のゲーム音楽のサンプリングが急増した要因を調査し、インターネットの普及に注目して考察を行った。ゲーム音楽のサンプリングについてはいくつかの先行研究もあるが、どのゲームソフトがヒップホップ音楽へ強く影響しているかという点に触れているものは未だ少ない。本論ではゲームタイトルにも積極的に注目し、分析を行っている。
一章:90年代における日本の家庭用ゲーム機の消費と変遷
90年代から00年代における日本の家庭用ゲーム機の歴史を探る場合、俗に言う第四世代から第七世代にかけてのモデルが当てはまる。
第四世代に分類される日本のゲーム機の中で代表的なのが、セガのメガドライブと任天堂のスーパーファミコンである。「時代が求めた16ビット」のキャッチコピーで発売されたメガドライブは1988年に発売され、国内の売上として90年には年間出荷台数70万台を記録する。競合していたファミコンの136万台に引けを取らない数字となっていた 。
メガドライブは特に北米市場におけるシェアと影響力が目覚ましい。現地では「SEGA GENESIS(セガ ジェネシス)」という名称で89年に発売され、日本では今ひとつ売り上げが伸びなかったオリジナルソフト「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」が91年にリリースされてから爆発的なヒットを記録し、一時期は16ビットゲーム機市場シェアの過半数を独占していた 。
ファミリーコンピューターの圧倒的なシェアを背景に発売されたのが、任天堂の「スーパーファミコン」である。16ビットゲーム機としてファミコンからの正当な進化を遂げたこのゲーム機は、発売時期こそメガドライブに遅れをとる1990年となったものの、日本国内での販売台数は1700万台を記録する歴史的なモデルとなった 。北米ではSNES(Super Nintendo Entertainment System)の名で91年に発売され、売り上げ台数は2300万台と、日本のセールスを大幅に更新した。
90年代中期から後期にかけては第五世代に属するゲーム機の時代であった。第四世代に引き続きセガと任天堂が覇権を争う展開を見せたが、新たに参入したソニーによる「プレイステーション」の登場は、特にセガの勢いを失速させる契機となった。
セガが94年に発売した「セガサターン」は出だしこそ好調だったものの、セガのリリースした家庭用ゲーム機の中では最も売り上げ台数が伸びなかった。半年後には100万台を記録するなどの伸びを見せたが 、メガドライブまでは好調だった北米市場での低迷や、RPGの大作「ファイナルファンタジー」シリーズの開発がプレイステーション向けに始まったことなどを受け、売り上げ台数は大幅に失速し、最終的な世界売上台数は950万台にとどまった 。
任天堂やセガと比べ後発の発売となったソニーの「プレイステーション」は、オリジナルの家庭用ゲーム機でありながら大ヒットを記録する。すでに家電製品ブランドとして大きな知名度を博していたことや、カセットではなくCD-ROMの複製によってソフトを販売し、コストダウンと販売サイクルの高速化に成功したこと、段階的な値下げを行ったことが功を奏し、最終的には全世界で1億240万台を売り上げる伝説のゲーム機となった 。
セガと同様、プレイステーションもまた国内よりも北米市場での人気に著しいものがあった。日本では1,900万台以上の売り上げを記録していたが 、北米市場での出荷台数はその二倍以上にものぼる3,961万台となっており 、日本よりもはるかに大きなマーケットが「PS1」の時点で構築されていたことがわかる。
そして任天堂の次世代機、「NINTENDO64(ニンテンドウ64)」であるが、国内の売り上げ台数は500万台ほどにとどまるなど、スーパーファミコンのセールスと比較して3分の1にまで落ち込んでしまう 。ただ北米におけるセールスは好調で、、SNESの2,300万台には及ばないものの日本の四倍以上に当たる2,063万台のセールスを記録している 。「スーパーマリオ」シリーズの新作「スーパーマリオ64」や、「スーパードンキーコング」シリーズを開発したレア社による映画「007」をモチーフとしたシューティングゲーム「ゴールデンアイ 007」が人気を博し、欠点とされたソフト不足は取り沙汰されなかった。
90年代の日本のゲーム機の歴史を振り返ると、当時からすでにビデオゲームの主要な市場は北米に存在し、日本発の製品でありながらアメリカでヒットするか否かが各企業の命運を分けていたとも捉えられる。セガに関してはメガドライブがアメリカでヒットを記録したものの、後継機であるセガサターンが現地で振るわなかったために、熾烈なシェア争いからの脱落の兆候を見せ始める。
00年代以降、家庭用ゲーム機やゲームソフトからは徐々に保守化が進み、ゲーム機はコンピュータとしてのアップグレードを行うことで正当進化を遂げていく。
第六世代にいち早く突入したのが、セガの「ドリームキャスト(Dreamcast)」だった。国内では1998年に発売され、宣伝プロデューサーはのちに社外取締役となる秋元康を迎え 、多額の資金を投じて新聞やテレビCMでのドリームキャスト発売を予告する。本体起動時のテーマソングにも坂本龍一を起用するなど 、セガの起死回生をかけた一大プロジェクトであったが、ネックとなったのは大作タイトルの不足であった。
北米におけるドリームキャストの売り上げは日本より好調ではあったが、セガを窮地から救うには至らなかった。北米におけるドリームキャストの発売は99年で、リリースから2週間で50万台ものセールスを記録している 。日本では低調だった「ソニックアドベンチャー」も北米をはじめとする全世界でヒットを記録し、250万枚のセールスに成功している。しかしそれでも日本での不調をカバーするには至らず、セガは発売からわずか3年後の2001年に、ドリームキャストを含む全ての家庭用ゲーム機の製造を停止し、プラットフォーム事業からの撤退を表明する。これ以降セガは今日に至るまで、家庭用ゲーム業界においてはソフトウェア開発に注力することとなる。
風前の灯火だったセガへ追い打ちをかけるように現れたのが、2000年発売の「プレイステーション2(PLAYSTATION 2)」だった。純粋なコンピュータとしての性能の高さや「PS1」ソフトとの互換性、メディアプレイヤー機能など家電としての性能も持ち合わせたことで、2009年時点で1億4000万台近い数の売上を記録した 。日本での売り上げのみで2000万台を超えたPS2だが、北米での売り上げはさらにその倍以上となる5000万台を記録 。売り上げ台数のみを見れば、世界のPS2の三分の一から半分が北米に集中していることになる。
2001年、任天堂は「64」の後継機として「ニンテンドーゲームキューブ(NINTENDO GAMECUBE)」を発売する。PS2が高スペックマシンの追求であった一方、ゲームキューブは「スペック主義からの脱却」を掲げ、ソフト不足を補うための開発チームに優しいゲーム機づくりを目指したものだったが 、肝心の売上台数は芳しくなかった。国内売上台数は400万台にとどまり、北米でも1200万台に落ち込んでいるなど 、黄金期のシェア奪回にまたしても失敗する。それでも任天堂は、携帯ゲーム機の「ゲームボーイアドバンス」が当時好調だったこともあり、事業そのものが傾いてしまうことはなかった 。
2000年初期の動向として、セガがドリームキャストの失敗によって家庭用ゲーム機開発から撤退、任天堂もプレイステーションのシェアを奪うことができず、ソニーはPS1に引き続きPS2の大躍進によって、圧倒的なシェアを獲得していたことが印象的である。しかしながら米マイクロソフトから新たに発売された「Xbox」によって、ソニーはマイクロソフトと熾烈なスペック争いに巻き込まれることとなり、性能に頼らない独自路線をたどる任天堂へ再び勝機が訪れる。
2000年代後半以降、日本の家庭用ゲーム機は任天堂とソニーの独擅場となるが、それぞれのプラットフォームが目指す方向性の違いから、両社間でのシェア争いのような競争性はこのころから薄れていく。
第七世代の先駆けであるプレイステーション3(PlayStation3)は、2006年に販売を開始したものの、PS1、PS2ほどの注目を集めることができなかった。前年にマイクロソフトが発売した新型ゲーム機「Xbox 360」はPSユーザーとシェアを二分し、ユーザーの分断が生じてしまったことがその原因として大きい。PS3もXboxも、肝心のゲームソフトはサードパーティに依存する傾向が強く、ソフト制作側も両プラットフォーム向けに同様のものを提供していたためである。その後も本体のリニューアルや、価格改定などの施策を投入するも販売台数を伸ばし切ることはできず、PS3は国内で630万台 、アメリカでも1300万台にとどまるなど 、プレイステーションシリーズの中では最も低いセールスを記録してしまう。
ソニーがマイクロソフトとの競合に悩まされる中、任天堂は独自路線を貫き、革新的な家庭用ゲーム機「Wii(ウィー)」をPS3とほぼ同時期に発売する。テクノロジーの進化によってゲーム離れが起きていると考えていた任天堂は 、より多くのゲーム人口獲得を目指し、スティック状のコントローラーで直感的な操作ができるゲームプレイングを実現。その操作感の新規性や「Wii Sports」に代表される全年齢をターゲットにしたオリジナルソフトが好評となり、全世界で1億台以上を売り上げる大ヒットとなった 。
北米においてもWiiは売り上げ台数4000万台という空前のヒットを記録し、NESやSNESを超えるセールスとなった。同時に携帯ゲーム機の「ニンテンドーDS」も北米で6000万台近い売り上げを占めていたため 、2000年代後半から2010年代初頭にかけてはファミコン以来の、あるいはそれ以上の「ゲームといえば任天堂」の時代だったのである。
二章:1990年代から2000年代のゲーム音楽におけるサンプリング事例
サンプリングによるヒップホップ音楽とゲーム音楽のクロスオーバーに関する記述は、これまでも幾度となく様々なメディアで掲載されてきた。例えばカルチャー系メディアのHighsnobietyやComplexでは「ビデオゲームをサンプリングしたヒップホップ音楽」というタイトルで複数のサンプリング楽曲が紹介されており 、音楽メディアのGeniusは任天堂のゲームソフトに限定したサンプリング特集も公開している 。
またサンプリングを通じたビデオゲーム文化発のヒップホップ音楽への歩み寄りも確認でき、ゲームメディアのPolygonではKendrick Lamarの楽曲にNintendo 3DSソフト “Animal Crossing:New Leaf(とびだせ どうぶつの森)”のBGMがサンプリングされた可能性について触れられている 。
サンプリング楽曲情報共有サイト“Whosampled”に掲載されている情報を元に、1990年代~2010年代のビデオゲームがサンプリングされているヒップホップ音楽を調査した。ビデオゲームは一章で取り扱った日本の家庭用ゲーム機に対応するゲームソフトに絞っている。
結果、掲載されているヒップホップは約150曲近くになったが、そのうちの100曲以上が2010年代に発表されたものであった。もちろんWhosampledに掲載されていない楽曲の存在を考慮する必要もあるが、それを加味しても90年代のゲーム音楽が20年以上経過してからサンプリングされるようになったというのは注目に値する結果である。
90年代以降を賑わせたビデオゲームとして最も早くサンプリングされたのは、Sega Genesisで遊ぶことのできた“Golden Axe”(1989)で、これはJay-Zの"Money, Cash, Hoes"(1998)に用いられている。表に掲載している楽曲のうち、Sega Genesisのゲームソフトからサンプリングされているものは11曲、SNESからのサンプリングは98曲、PSは9曲、NINTENDO 64は8曲、GAMECUBEが1曲、PS2が9曲、PS3は8曲、そしてWiiが2曲の計145本となっている。掲載ゲームソフトの本数は37本にとどまっており、ゲームソフト一本に対して複数のサンプリング楽曲が発表されているケースがほとんどである。
表の中でまず目を惹くのが、”Super Mario World(スーパーマリオワールド)”(1991)と”Street Fighter II(ストリートファイター2)”(1992)の2タイトルである。両ゲーム共に記録的なセールスを記録し、それゆえに数々の楽曲にサンプリングされていると考えられるが、そのゲームがいつ、そしてゲーム音楽の何をサンプリングしたかを比較すると明確な違いが現れる。
まず「マリオ」の方だが、こちらは一貫して2010年代にサンプリングされている傾向が強い。アーティストたちがまだ小さかった時代に耳にしていたであろう楽曲として参照されており、彼らにノスタルジックな印象を与えている可能性が高い。そしてサンプリング元に選ぶのはゲーム中のBGMであり、効果音が参照されるケースは少ない。ただ効果音となると聞き逃してしまうケースや付加価値の少ない情報と判断され、ネット上で共有されないことも多いと考えられる。
ただWhosampledに掲載されていないだけで、実際は多くの楽曲に効果音が収録されている可能性は否定できない。一方の「スト2」は90年代前半でサンプリングされて以降、継続的にヒップホップ音楽の中で参照され続けてきた点が「マリオ」とは対照的である。もちろん2010年以降のサンプリングされた楽曲数の急増は目を惹くが、Whosampledに掲載されているものだけでも1993年の“Swing’n”以来、ほぼ毎年あるいは1年おきに「スト2」を引用した楽曲が発表されている。
そしてもう一つ特徴的なのが、BGMではなく効果音のみがしきりにサンプリングされている点である。特定のBGMではなく効果音やキャラクターボイスがパーカッションのように楽曲の中で用いられているのは、電子楽器のTR-808が1980年に登場して以来、今日まで頻繁にポピュラー音楽の中で採用されてきた様子を彷彿とさせる。
しかしながら脈々とサンプリングの歴史を紡いできた「スト2」のケースは、90年代のゲームとしては特異な例で、この時代のゲーム音楽のサンプリングは「マリオ」的な2010年代以降の形式が主流であるということができるだろう。
「スーパーマリオワールド」のようなケースとしてもう一つ注目したいのが、”Chrono Trigger(クロノ・トリガー)”(1995)である。このゲームは「マリオ」や「スト2」ほどのセールスを記録していないのにも関わらず、2010年代以降に15曲もの楽曲にサンプリングされている。理由として考えられるのは、一つにWiz Khalifaという知名度の高いアーティストが2010年に”Never Been”においてクロノ・トリガーをサンプリングし、ビデオまで制作したことでちょっとしたムーブメントが発生したことが挙げられる。
二つ目に、クロノ・トリガーの楽曲制作を光田康典が担当し、当時のゲームとしては珍しいジャズの要素を取り入れていたこと や、同じく2010年代以降に多く参照されることとなる、「ファイナルファンタジーシリーズ」の音楽を担当している植松伸夫が、クロノ・トリガーにも関わっていたことが何らかの影響を与えていると考えられる。ファイナルファンタジーシリーズはクロノ・トリガーとは異なり世界的にセールスを記録している名作RPGシリーズで、ナンバリングタイトルだけでなくスピンオフ作品も多い。
また、音楽制作に際しても植松伸夫を筆頭とした著名なゲーム音楽家が何人も担当しており、それらの楽曲がサンプリングされることも少なくない。例えばLil Bが2014年に発表した“Peter Pan”(2014)は1993年に発売された“Secret of Mana(聖剣伝説2)”の一曲に由来するのだが、この作品はもともとファイナルファンタジーの外伝として誕生したシリーズの一つである。
また明確にヒップホップ音楽と分類することが難しかったため表には掲載していないが、「聖剣伝説シリーズ」として1999年に発売された続編”Legend of Mana(聖剣伝説 LEGEND OF MANA)”に収録された“Moonlit City Roa”は、Janet Jacksonの“China Love”(2001)にサンプリングされている。そしてこの作品で楽曲制作を担当したのも、「スト2」や「キングダムハーツシリーズ」などで名曲を生んできた作曲家の下村陽子である。
また、ファイナルファンタジーシリーズに関してはゲーム中に流れているBGM以上の印象をアーティストに与えている可能性も考えられる。Kodak Blackの“Patty Cake”(2017)のオリジナルヴァージョンでは“Final Fantasy X(ファイナルファンタジー10)”の戦闘曲をサンプリングしているが、音源は別途販売されたピアノヴァージョンのサウンドトラック音源に由来している。
このことから、Kodak BlackあるいはプロデューサーのNessがゲーム単体だけでなく音源が収録されたアルバムをも所有する音楽ファンであったという推測も立てられるだろう。
サンプリング楽曲を分類する上で今回は取り上げなかったものの言及しておきたいのは、ネット上にアップロードされているリミックス曲の数々だ。例えばWiiの「似顔絵チャンネル」で流れているBGMはMigosの”Bad and Boujee”やFutureの”Mask Off”など数々のリミックスに使用されており、ヒップホップ音楽の文脈における解釈を試みるアプローチと捉えられる。
あるいは直接楽曲の中でサンプリングはされていなくとも、ゲームタイトルが楽曲名に含まれているものの扱いも重要な意味を持つ可能性がある。例えばA$AP ANTの“Mario Kart(マリオカート)”にはゲームの「マリオカート」への音楽的な参照は見られないものの、ジャケットにニンテンドウ64が掲載されていることからゲームの「マリオカート」を意識していることは明らかだ。
あるいは表にも掲載しているXXXTENTACIONの"Okage the Shadow King”(2015)は音源こそ“Final Fantasy IX(ファイナルファンタジー9)”をサンプリングしているものの、曲名の由来は2001年にPS2向けに発売された“Okage: Shadow King(ボクと魔王)”である。今回は詳しく触れないが、ゲーム音楽を楽曲の中でサンプリングすることと、曲名においてオマージュを捧げることの違いも興味深い点である。
三章:ゲーム音楽に求められる表現効果とサンプリング急増の背景
ヒップホップ音楽においてはこれまで幾度となくゲーム音楽のサンプリングが行われてきたが、作り手はどのような意図を持ってゲーム音楽を自らの作品の中に落とし込んでいるのだろうか。前章で扱った第四世代から第七世代の家庭用ゲーム機でリリースされたゲームソフトを参考に、以下の分類を仮説として検証した。
一つ目に、同時代のポピュラー文化の表象としてゲーム音楽が使用されているケースである。All the Way Liveの”My Nen-Tin-Do”は1989年リリースの楽曲だが、これは1985年に任天堂から発売された「スーパーマリオブラザーズ」からサンプリングを行った一曲だ。
近年の例だとJoey Bada$$の”FromdaTomb$”(2012)が挙げられ、米Rockstar GamesがPS3、Xbox 360をプラットフォームに発売した「LAノワール」(2011)のメインテーマを拝借している。
”Keep it real”という標語に代表されるように、ヒップホップの文脈においては常に真実、あるいは真実味のある作品を作らなければならないという慣習があるが、上記のような楽曲はそういった側面をはらんでいると言えるだろう。当時流行のゲームソフトから音源をサンプリングすることで、それに慣れ親しんだ生活感を表現するとともに、聴衆にとっても原曲が身近である以上、共感を得ることが容易になる効果をもたらしてくれるのだ。
しかしながらこのようなケースはヒップホップ音楽においては稀で、アーティストがゲーム音楽をサンプリングする際には一昔前の作品を好む傾向が強い。このことを踏まえると、上記の2作品には異なる側面が強調されるようになってくる。まず”My Nen-Tin-Do”についてだが、これはAfrika Bambaataaの”Planet Rock” (1986)の影響があるだろう。TR-808を用いたエレクトロニックなサウンドは”My Nen-Tin-Do”にも共通し、いわゆるアフロ・フューチャリズム的な価値観に基づく楽曲制作であったと推測できるが、この点については後述する。
続いて”FromdaTomb$”であるが、これはJoey Bada$$の当時の作風でもある90年代のヒップホップ音楽を意識した可能性が高い。Nasの”World Is Yours”に代表されるように、90年代のニューヨークにおけるヒップホップはジャズ音楽からサンプリングされることが多かったため、ニューヨークの90年代の空気感を現代で表現する際にもここに注目するアーティストは少なくない。JoeyBada$$の場合はこの90年代らしさの引き出しをゲームに求め、40年代のロサンゼルスを描く「LAノワール」のメインテーマに至ったと想像できる。タイトルに「ノワール」と入っている通り、このゲームは40年代のアメリカにおける犯罪行為と刑事の腐敗をノワール・フィルムの手法で描き、ジャズ音楽をベースに物語が進んでいく退廃的な作品となっている。
当時16歳だったJoeybada$$がこのゲームを引き出しに”Fromdatomb$”を作ったという背景は、この曲に現代的な若者のストーリーを与える重要な要素と言えるだろう。
ヒップホップの中でゲーム音楽の役割を考えるとき、最も重要だと考えられるのがノスタルジアである。往年のゲームソフトから印象的なパートをサンプリングすることで幼少期を回想し、過去を懐かしみながらラップを重ねていくというものだ。
代表的な例としてはBig Seanの”Memories”(2010)が挙げられるが、これはメガドライブのゲームソフトとして1991年に発売された「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」のスペシャルステージで流れる楽曲をサンプリングした一曲だ。
「ソニック」におけるスペシャルステージは通常のステージとは違い、特定の条件を満たさなければプレイすることができず、到達までにそれなりの苦労を強いられる。それゆえにこの音楽は特別な記憶として残りやすく、サンプリングによって反復的なグルーヴとして現代に復活することで、ゲームに熱中していたあの頃を強烈に喚起する作用が発生する。
ノスタルジアのように何か感傷的な作品を製作する場合、同じゲーム音楽でも通常のBGMよりも、何か特別なイベントシーンで流れる楽曲がサンプリング元として選ばれる傾向も見られる。Tobi Louが2016年にリリースした”Game Ova”は、スーパーファミコンのゲームとしてベストセールスを記録した「スーパーマリオワールド」(1990)のゲームオーバー時に流れる曲をサンプリングしたものであるが、原曲はわずか6秒に満たない。
ゲーム音楽はもともとループ再生を前提とした楽曲であるため、サンプリングに落とし込みやすいと説明されることも多いが、”Game Ova”からはむしろゲーム中の印象的な体験、つまり人生のエモーショナルな経験の一つとしてゲームオーバーが受容されている様子が伺え、この曲のテーマである失恋と重ね合わせることでセンチメンタルな世界観を演出しているのである。
あるYoutubeユーザーはこのゲームオーバーのフレーズを「少年時代の終わり」と表現していたが 、Tobi Louは「少年時代の終わり」を”Game Ova”の中で何度も反復させることにより、終わりなきノスタルジアの世界を構築する。そこに失恋という喪失の物語を閉じ込めることで、Tobi Louは悲しい過去との決別を試みているのである。そしてノスタルジアは2010年代以降に急増するゲーム音楽ブームにも大きく関わっているとも考えられるのだが、この点については後に述べることとする。
それではこのようなゲーム音楽をサンプリングした楽曲制作が、2010年代に入って急増したのにはどのような理由が考えられるだろうか。
最も大きい理由として推測できるのは、動画音楽共有サイトの普及である。ゲーム音楽への注目はマニアックな趣味であったため、一般的な音楽とは異なりCDやレコード音源として流通している量は概して少ない。YoutubeやNapsterといった共有サービスが発達し、誰でも無料で気軽に手に入れることができるようになったことで、ゲーム音楽のサンプリングが盛んになったのである。
また、スーパーマリオワールドをはじめとするレトロゲームのタイムアタックや、最新ゲームのプレイ動画がYoutube上で莫大な視聴回数を記録するなど、動画共有サービスを活用したネットならではのゲーム文化が醸成されるとともに、スマートフォンの普及によってますます大衆にとってインターネットが身近になったことで、ビデオゲームを見聞きする機会がこれまでになく開かれた。
eスポーツやゲーム実況といった新しい観戦型のエンターテイメントが日本でも話題となっているが、ゲームが大衆文化として広く認知された今、ゲーム音楽をサンプリングしてヒップホップ音楽が作られるという現象も、ごく自然な運動として考えることはできないだろうか。
二つ目の理由は、ノスタルジアへの渇望である。アメリカでは若者によるうつ病患者の増加が著しく、ミレニアル世代と総称される18~34歳のうつ病患者の増加率は5年で47%、12~17歳に至っては63%と、35~64歳の25%前後という数字を踏まえるとこの数値は異常である 。
Newsweekの中ではこの原因を「電子機器使用の増加と睡眠障害の組み合わせ」と、うつ病への認識の変化を挙げているが、若者がスマートフォンの中の世界に求めているのは今は無きレトロな電子空間だ。いわゆるヴェイパーウェイヴに見られた、旧式コンピュータや大量生産される人工物、そして80年代~90年代の日本の映像や音楽を組み合わせ、退廃的でどこか懐かしい世界観 が当時を知らない若者を魅了し、「もしかしたらあの頃はいい時代だったのかもしれない」という淡い期待を寄せるようになったのである。
またノスタルジアは概ね対象に対して幸福感を与えるとされているが、アメリカの薬物中毒による死亡者数の急増と連動している点にも触れておきたい。米国では2017年の薬物中毒死亡者数が7万2千人を超えているが、これはスマートフォンが普及する前の2000年代後半と比較すると2倍以上の数字である。米国国立薬物乱用研究所の作成したグラフを参考にすると、特に2014年以降の伸び率は著しい 。
90年代のゲーム音楽が2010年代に入って盛んに採用されるようになったことは前述の通りだが、2010年代後半にはさらに盛んになっている傾向もあることを付け加えておきたい。薬物による死亡者数が急増するのは2010年代半ばからであるが、「スーパーマリオワールド」がサンプリングされた楽曲が集中するのもまた時を同じくしており、表で取り上げた17曲のうち、14曲は2014年以降に発表されたものである。
ノスタルジアの渇望をさらに発展させ、アフロ・フューチャリズムの文脈でゲーム音楽のサンプリングを説明することもできるだろう。黒人SF作家による宇宙・未来・テクノロジー表象を説明する上で用いられてきたアフロ・フューチャリズムの視点において重要なのは、「未来」と「過去」が同居する世界観である 。過酷な現実に直面した黒人は「ここではないどこか」に自身の居場所を求めるが 、インターネットという未来的なテクノロジーを駆使し、過去のゲーム音楽をサンプリングすることによって生まれたヒップホップ音楽には、アフロ・フューチャリズム的世界観からなる現実逃避が含まれると考えられる。
また、「マリオ」や「スト2」のような日本産ゲームを参照とする場合には、アフロ=アジア的想像力も含意されることに触れておきたい。黒人文化によるアジア文化への接近は、古くは黒人思想家のW.E.B.Du Boisが日露戦争における日本の勝利から人種問題解決の糸口を見出したことや、公民権運動のリーダーの多くは毛沢東を参照したことに見ることができ 、ヒップホップにおいては地元ニューヨークスタッテン島を「少林」と呼び、中国語の「武天」にそのグループ名を由来するWu-Tang Clanや、楽曲の中でしきりに『スト2』の効果音や「波動拳」のような僅かに聞こえてくる日本語をサンプリングするアプローチから見ることができる。
ビデオゲームではないが、近年の例で言うとアニメ『ドラゴンボール』の流行はアフロ=アジアでありアフロ・フューチャリズム的な世界観への接近を体現する最たる例といえるだろう。主人公の孫悟空は見た目こそアジア人の風貌であるが、彼は既に滅んだ地球外の戦闘民族、サイヤ人の生き残りであることが宇宙から現れた他の生き残りによって明かされる。ドラゴンボールは黒人にタフであることを要求し、アジア文化への傾倒も試みることによって、いつかサイヤ人として宇宙へと帰る夢を見せるのである。
結論
本論文では1990年代から2000年代までの日本のビデオゲームが、ヒップホップ音楽においてどのように受容されているかを探った。一章では基本的なビデオゲームの消費に関する情報をまとめたが、2000年代に入って家庭用ゲーム機とゲームソフトを開発している会社の分裂が大きくなり、プレイステーションシリーズに至っては国外のゲーム会社がソフトを提供するケースも目立った。
これを日本のゲームと呼べるかどうかは線引きが難しいところもあったが、日本のソニーブランドによって今日までのプレイステーションの売り上げがあったと考え、米マイクロソフトのXboxが低調な売り上げであったことを踏まえれば、日本のソニーブランドがソフトのセールスにも影響を与えているとも考えられ、国外のゲーム会社でも日本のゲーム機にソフトを提供しているものは日本のゲームとして次章でまとめたゲームソフトとサンプリング楽曲の表に組み込むこととした。その表においては150近い数の楽曲をまとめることができたものの、Whosampledに掲載されていない楽曲を踏まえると、1990年代から2000年代に限定してもその数はさらに増えると予想される。
続く二章ではゲーム音楽に求められた効果を考察した。サンプリングを行ったアーティストがゲームに深く思い入れのある人物であると仮定した上で、1990年代の楽曲が今になってサンプリングされるのはそこにノスタルジアを覚えているからだと分析したが、2000年代のゲームについてはここで深く触れていない。というのもこの分析にそぐうケースが今回の調査では見つけることができず、ノスタルジアと呼ぶには少々新しすぎたためである。
そのため2000年代のゲームにノスタルジアが見出されるのは2020年代以降であると考えられるため、今日において2000年代のゲームがサンプリングされている理由にはもう少し異なる視点の分析が必要であると思われる。
三章ではゲーム音楽がサンプリングされる理由を社会的な背景から探るアプローチをとった。その要因が主にインターネットの普及にあると仮定し、良くも悪くも若者はインターネットに救いを求めた過程でゲーム音楽への再評価が始まったと分析した。ヒップホップ音楽においてはさらにアフロ・フューチャリズム、及びアフロ・アジア的価値観が表出していることにも触れている。
今後さらなる研究を行う場合、いくつかの方向性が検討できる。例えば『スーパーマリオワールド』や『ストリートファイター2』など、特定のゲームタイトルに対象を絞り、ゲームのストーリーやキャラクター、及び作曲家などの制作スタッフに焦点を当て、そのゲームの何がプレイヤーの琴線に触れたかなどを調べるというものだ。あるいは有名タイトルを担当したゲーム音楽作曲家に注目し、彼彼女らの音楽的ルーツなどを探るというのも興味深い。
本研究は同世代の人間、あるいは1990年代から2000年代のポップカルチャーの動向に興味のある人と何らかの共感を得られればと思い取り組んだが、そういった方々のさらなる研究の糧となれば幸いである。
(注:出典は原文参照のこと)