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ゲームのユーザビリティは何のためにある?『Rise of the Ronin』に見るゲーム作りの考え方

ゲームは果たして何を楽しむための体験の場なのか。それはゲームの作り手が時間をかけて考え抜いている要点であると同時に、プレイヤーもまた、それを汲み取る努力を怠らないことが大切だろう。

幕末オープンワールドという興味をそそる切り口(個人的には『侍道4』が頭をよぎるが)の『Rise of the Ronin』は、多彩なアクションを楽しめる自由度の高い作品であるのもさることながら、アクションをストレスなく楽しめる工夫にも富んでいることが評価されているらしい。

ファストトラベルの頻繁な利用を促したり、戦闘時以外は無限にダッシュができたりといった快適仕様で、作品のノイズを減らそうという取り組みだ。

ただ、このような仕組みは骨太なロールプレイングを楽しみたいプレイヤーにとっては、いささか便利すぎるというひねくれた不評も買いかねない。これがいわゆる仕事効率化アプリなどとは一線を画するポイントで、ゲームにおいて「便利すぎる」ことは「つまらなさ」に直結しかねないのだ。

かといって、今度は「不便すぎる」ゲームは神作なのかと言われると、そんなことはない。このご時世、経験値稼ぎのために幾度となく雑魚狩りをさせられるような作品は姿を消してしまったし、冗長な移動が発生するようなゲームも面倒臭がられるものである。

短時間で強い刺激が得られるソシャゲや倍速再生が跋扈する今日において、冗長なゲーム体験はことさらニッチなニーズになっていることは間違い無いだろう。今作と同日に発売された『ドラゴンズドグマ2』においても、冒険の面倒臭さが悪評の一端となっている様子が見受けられる。

結局のところ、プレイヤーが何を求めているかはもちろん大事だが、クリエイターが何を作りたいのか、どんな体験に焦点を当て、その喜びを最大限高めるためにはどうすれば良いかを考え、実行することが、両者にとってWin-Winな解決策なのでは無いだろうか。

プレイヤーに迎合すれば、ソシャゲのようなゲームばかりがのさばることになることは自明(グローバルヒットしているシューターゲーの大半は少なくともそうなった)なので、作り手はもっとエゴを尊重して良いのである。


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