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クラウドファンディング「輪島の漁業を照らし続けたい!」

令和6年1月1日午後4時10分
この時を境に今までおぼろげながら思い描いていた、わたしの人生設計が狂い始めました。

あの日から止まったままの時計

あの日のこと(フネノデンキヤの決意!)

あの日から4ヶ月が経ち、ようやく現実を受け止めこれからの事を考えていく事ができるようになりました。

この度の能登半島地震に際しまして、たくさんのご心配と励ましのメッセージをいただき心より感謝申し上げます。

おかげさまで私をふくめ家族は無事でございますが、地震によって店舗倉庫兼住居が全壊、この輪島で事業を再開するか、それとも移転をするのか、廃業せざるを得ないのか。

突然訪れた、人生のターニングポイントとも言える状況に呆然と時間ばかりが過ぎてしまいました。

今回のプロジェクトでは、漁業農業が盛ん「だった」輪島市を取り戻すべくご賛同者を募ります。

全壊した店舗倉庫兼住宅

船のでんきや日東電機とは

船のでんきや日東電機は、昭和26年頃から地元の漁船にバッテリーを販売したり発動機を修理していたのがはじまりと創業者である父に聞いていましたが、なにせ田舎のこと当時は戦後のドサクサではっきりした資料が残っていません。

ただ、その当時から「日東電機工業所」と言う名前で商売を営んでいて、平成元年に法人化し現在の名称になりました。

私は大学を卒業後、家業を継ぐために魚群探知機や無線機等を製造販売する会社に就職し昭和63年に地元輪島市に帰ってきて現在の仕事をするようになりました。

魚群探知機や無線の修理に関しては一通りの技術は習得してきたつもりでしたが、「船のでんきや」の仕事は奥が深く発電機などの取付技術は輪島に戻ってから必死に勉強しました。その甲斐もあり、漁業が盛んな輪島市の漁業関係者から信頼を頂き、数多くの漁船修理を任せて頂いておりました。

私自身、輪島市の基幹産業である漁業を縁の下の力持ちとして支えられることにやりがいを感じ、現在まで実直に仕事に取り組んで参りました。

輪島市の基幹産業である漁業

プロジェクト立ち上げの背景

輪島市は人口2.7万人の小さな町です。そのため、地元業者ひとつひとつが大きな役割を担います。

私共、船のでんきやも例外ではなく、漁船修理という役割を担っています。

漁船修理には、漁船に関する知見と技術力、構造を理解している必要があるため、対応できる業者が限られています。そのため、船に故障があると夜中であろうと時間に関係なく連絡が入ります。

私を頼っての連絡ですので、早朝であろうと眠いとは言っておられず、すぐに駆けつけ何とか出漁できる状態にします。漁師のお客様の「ありがとう!」の一言を聞いた時、この仕事をしていて本当に良かった思います。

輪島市は地形的特色により古くから自然の良港が開けており、漁業は市の基幹産業の一つとして位置付けられていました。近年では「輪島の海女漁の技術」による海女採りアワビ・サザエ、日本有数の漁獲量である輪島ふぐなどが知られ、市を支える産業という位置づけでした。

ただ2024年1月1日、令和6年能登半島地震を受け、状況は一変しました。

現在輪島港は、港の海底が隆起したため何隻もの漁船が座礁し未だにほとんどの船が身動きできない状態が続いています。

座礁によって身動きができない漁船

海だった場所も最大およそ4メートル隆起しており、サザエやアジなどがとれる場所だった輪島市黒島漁港では、海だった部分が隆起した影響で、海底の岩が見えています。輪島港でも隆起する前は100隻ほどの船が常時漁に出ていましたが、今は漁船も故障し再開の目処が立っていません。

港の施設にも大きな亀裂が入るなどことごとく損壊、給油所や冷水機も使えずもちろん水揚げもできません。

大きく損壊した漁港

そんな状況の中、お客様である漁師の方々からエンジンがかからん等のSOSを受けるのですが、なにせそのための工具類や設備機器が埋もれてしまっていて未だに取り出せない状態で、営業再開の見通しが立たない状況です。

漁船修理のための工具類

困難な状況にありますが、漁業は輪島市にはなくてはならない産業です。多くの方々が漁業を生業(なりわい)とし、生活をまかなっています。だからこそ、業界関係者全体で協力し、復興を目指さなければなりません。

何とか営業を再開し輪島の漁業を守りたい!漁船修理という役目を果たし、復興に向けて諦めずに取り組んでいきたい。そんな思いからこのプロジェクトを立ち上げました。

プロジェクトで実現したいこと

今回のプロジェクトでは、輪島市の漁業再建に貢献すること目指します。

輪島の漁業が地震以前の状態に回復するまで何年も掛かります。完全に回復するまでは10年ほどかかるかも知れません。しかし、漁業は輪島市の基幹産業であり、なくてはならないものです。漁業が衰退し続ければ市の運営自体に大きな不全をもたらしてしまいます。

漁業関係者が一丸となって再建に向けて取り組まなければなりません。その中で、私が担う役割は漁船の修理です。漁師の方々が安心して漁に出られるように漁船のかかりつけ医としての役割を果たす必要があります。

輪島市の人口は2.7万人であり、ひとつひとつの業者が大きな役割を担っています。特に漁船修理に携わる業者は代替が効かず、私たちが責任を持ってやらなければならない。なんとか事業所機能を回復させ、私たちの担う漁船修理の役割を果たし、輪島市の漁業復興に向けて諦めずに取り組んでいきます。

震災前の輪島の海

再建活動がついに始まっており、少しづつですが再開を目指して動き出しています。クレーンで海底の土砂を取り除き、水深を深くする工事が始まることや座礁した船を救出すべく取り組んでいます。

クレーンで土砂を取り除いている様子

輪島でしか味わえない海鮮丼!漁業復興を実現し、こんな海鮮丼を再び皆様にお届けできる日が来るよう諦めずに取り組んでまいります。

それともうひとつ、今回のプロジェクトで実現したいテーマがあります。それがインテリアとして楽しめるマリンランプの再開です。

マリンランプへの想い

私は漁業に関わる人間ですが、漁船修理で得た技術を元に「暮らし」に関わりたいと思っていました。例えば、良い家具はおじいちゃん、おばあちゃんから父母に受け継がれ、子へと引き継ぐことができます。そこには傷やシミ、小さかった頃に書かれた落書きなんかがあるかも知れません。

それは、その家族にとってはひとつひとつの傷に思い出があり、ひとつのモノを通じて共通の歴史が刻まれています。

私には娘がいますが、昔のおもちゃ、今は使わないものが残っていました。それらは、他人から見ればただのモノでも、私にはその時々が思い返されます。誰にでもお子さん、父母、祖父母との間で共通の時間を過ごしたモノがあると思います。

同じように家族との歴史を共有できるものが作りたい。日々のほっと一息付けるやさしい瞬間を提供したいと思いました。

だからこそ、世代を超えて利用することができるインテリアとして、家具として使えるマリンランプを作りました。

マリンランプとは、漁船などに使われている本物の作業灯を一般のご家庭やお店でも使えるようにアレンジしたもので、通常の家庭用ランプとは異なり、耐久性が高く経年変化を楽しみながら利用することができます。

このマリンランプを通じて多くの時間に立ち会いたいと願っています。

マリンランプスタンド

私がお客様にご提供させて頂いている「マリンランプ」は、昭和40年頃から漁船で作業灯や通路灯として本当に使われていた船舶照明器具をアレンジしたものです。

漁船で実際に利用されていたものなので、なんだか無骨で、今風のオシャレなデザインとは言えないかも知れません。ただ、そんな無骨なフォルムからの光が幻想的でどことなく温かみを感じさせてくれます。インテリアやエクステリアに設置して楽しめるのは、そういった温かみが魅力に感じられるからでしょう。

インテリアとしてマリンランプを利用

現在、店舗倉庫が損壊してしまった関係上、規模を極小化させてマリンランプを何とか加工製造している状況です。一方で、取り組み当初より、「マリンランプ」としてホームページを自分で作成したりブログやSNSを利用して発信しました。

インターネットを通じて様々な出会いがあり、お陰かげ様で今では全国津々浦々から注文をいただいております。一刻も早くご注文を頂いたお客様に満足の行く品質のマリンランプをお届けするため、復旧を目指しています。

実際の船で使われている様子

なお、今回のリターン(返礼品)でご用意させていただいたのは、持ち運びができどんな部屋でもやわらかい灯りで素敵な空間にすることができるマリンランプスタンドです。

こちらについては、↓をご参照ください!


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