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月命日
亡くなったことを知らされてから、月命日を数え呟く。
今、私に出来ること
何の関係もないただのTwitterのフォロワーさんだった人
もう黙っていればいいのにって思いながら、冷めた目で見てる人もいるだろう。
なんて、余計なことを考える。
少なくとも
病が彼を蝕んでいくタイミングで、近くにいたことから、放置することは出来ない。
世話焼きの私の性格、
最後の最後まで彼を応援し見つめていたかった。彼の辛さを少しでも和らげたくて、分かち合いたいと思っていた。
私の疲れきった心に彩りを添えてくれた人。
本当に優しくて大好きだった。
今でも大好きだ。
きっと、私の独りよがりだった。
辛さなんて本人にしかわからないことを一緒に背負うなんて、出来っこない。
それなのに一途にそう思っていた。
月命日を数えるときに、去年の今頃は、こうだったってことを少しだけ呟いてきた。
彼の生きざまを記しておきたくて、自分の気持ちを整理したくて、振り返ってばかりいる。
思い出してあげるときっと喜んでるはず、だから、毎日のように思い出したり、残ってるLINEのメッセージを読み返す。
今日は、7回目の月命日。
去年の今日、久しぶりにLINEの返事が来た日。
そこには、私の身体を気遣う言葉があった。
彼の方がずっとずっと辛いのに…
命がけなのに…
遡ること8月1日に
「生きれるところまで生きてみます」
とメッセージがあった。
「手遅れだった」とツイートした後に、気丈なLINEのメッセージ…
強くて繊細で弱い人。7回目の月命日
8月始め、衝撃のツイートに言葉を失った。
今、思えば6月からの治療の成果が出た頃。
前向きな姿勢と今にも壊れてしまいそうな心中。身体も心も壮絶な闘いをしていて不安定だった。
さよならと告げられ泣いていた日々。あの時のショックは今でも忘れられない。
記憶に新しい写真で偲ぶ月は、心身共に不安定で
そばにいたら、きっと抱きしめていた。
私のパワー送るよって…
でも、「さよならです」と言われた。
毎日泣いてばかりいた…
悲しくて
怖くて
切なくて
悔しくて
距離を置くようにした…
つづきは、また今度
月命日、まだまだ語ります。
妹さんとの約束、守ります。