思いやりとは正しい距離感
この言葉を改めて考えてみたときに、人付き合いの難しさを感じた。
自分が求めていても相手が求めていないことがある。
距離感… 距離かぁ… 距離ね。
この文字を見ただけでちょっと悲しくなる。
遠い気がする。近寄れないようなイメージ。
ほどよい距離ってどのくらいだろう?人や関係によって違う。
私は、距離を置いて人付き合いをするのが苦手だ。
ただ、何となく、合わない人や嫌な気がすると距離を置くどころかなるべく触れないようにする。
自分で好感を持った人や気が合うかもって思った人、悩みを持ち困ってる人とは、躊躇なく距離を縮めようとしてしまう。参考になればと自分の経験を話したり、情報や知識や知恵は最大限伝えたくなる。
良いとも悪いとも言えない。
自分的には、悪いことと思っていないのだが、相手からしてみればどうなんだろうと思う。
相手の気持ちを無視してどんどん近寄っていくのは、思いやりが足りないのか?
気持ちって態度や言動で察知していくものだと思うけど、本能的なものを感じた時や自分にとって関係性が強い人に対しては、色々と知りたい、解りたいって思ってしまうから距離を縮めていきたくなってしまう。私の悪い癖なのかも知れない。
夫婦でも踏み込んでいい場所とそうでない場所があると思う。
元々は他人だ。なんて言うと悲しい感じがするけど、実際に解り合えないこともあるから仕方がないと思うようになった。
人って話してみないとわからない。本当にどういう人間なのか、つきあってみないとわからない。
もっと言えば、つきあって結婚して一緒に生活したってわからないことだってある。
私の場合、「言わなくたってわかるだろう」って思われていたようだったし、揉め事があって話し合ってるときにも「わからないんだったらいい」と言われておしまい。そのひとことで距離が一気に遠くなる気がしてた。
的を得た話し合いにはなっていなかったように思える。
多分こうだろうっていう憶測のなかで不安に思い、どこを気を付けるのか、どう向いていけばいいのか分からないで気を遣い、機嫌を損ねないようにしていくようになってしまったのが、お互い解り合えなくなったのだと思う。
私は、向き合うということがいつの間にかできなくなっていた。
ただ、今の生活を守るだけ、怒らせないように言わなければならないことも言えずにいた。
正しい距離感というものがわからなくなってしまった。
自信がなくなった。
他の人に対しても同じだ。
距離を縮めようとするところは変わらない。悩みがあれば相談にのったり、元気が出るように声かけたり、ついついお節介を焼いてしまう。
放っておけないのだ。自分のキャパを越えて気づいたら頑張っている。相手がありがたく思ってくれればいいけど、余計なお世話だって思う人だっている。
私には、その見極めが出来ない。
だから、逆に私のことを知って欲しい。
こういう人間だってことを…
多分、きっと不器用なんです。