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3兄妹の不登校生活 振り返りと今 #3 長男不登校になる
前回、小学校2年、3年と続けて担任だった男の先生のおかげで、安心して行ける場所(学校)と帰れる場所(家)があって学校に通うようになった長男の話でしたが、今回はタイトル通り!
ついに、不登校になります。
3年生の9月の運動会も終え、町内で引っ越しをしました。
この年から妹である長女も小学校に入学し、長女の個人面談で「長女ちゃんがもっと早く登校できると、楽しい時間がいっぱいあるんだよなぁ」という担任からの言葉を長女に伝えると、それまでより20分以上早く家を出発し、帰宅すると「楽しかった!」と。
それを聞いたのか、翌週から長男も長女と同じ時間に家を出るようになり、末っ子の準備に手間取っている私が「(家出るの)ちょっと待てる?」と聞くと、「1人で行くよ〜。(帰ってきたら)家に居る?」と確認してあっさり出発していきました。
さて、それ以降も「家に居る?」と確認し、玄関で見送れば1人学校に向かうように。
そんな姿が3学期も続き、4年生に進級します。
2年ぶりに担任が変わり、女性の先生になりました。
4年生の連絡帳を見る限り、2年3年時のようなびっしり書き込むことは無く、本当に欠席の連絡程度。3年生の秋ぐらいから1年ほどは、「家に居る?」の確認とともに、登校していました。
4年生といえば、10歳になる年。
在籍している小学校では4年生の1月頃に「二分の一成人式」というイベントがあります。
長男の年は、合奏、合唱、などがあり、長男はリコーダー担当。
この頃は休むこともあって、配布物をもらいに私が学校に行くことも。
それでも、リコーダーの練習は頑張ってた。
金曜日に帰ってきて「練習するんだ!」と吹いていた。
でも、週末が明けた月曜日。
突如として、行き渋りは始まります。
そんな長男に私は、イベントでみんな練習してるんだから、長男がいなかったら迷惑かけるでしょ、などと背中を押しに押しまくりましたが、最終的に長男は
「なんであんなところに行かなきゃいけないんだ!」
と、玄関で叫き、泣きました。
その姿を見て、「あぁ、このままじゃ、長男は壊れる」と私はやっと思うのです。
留守番ができない長男を連れ学校に行き、長男は廊下の物陰から出てこようとせず、私は担任に「しばらく休ませます」と伝えると、
担任は「学校に来ると楽しそうですよ。私たちを信じて預けてください。長男君、教室に行こう。」
と言いました。
公立の小学校で、なんらかの方法で割り振られたクラスの先生に、信じるとか、信じないとか、そんなのどうでもよくて。
我が子が望まないことをやり続けた親の目の前で、我が子が壊れる直前(もしかしたら壊れていた)の姿を見た親に向け、「信じて預けてくれ」とは先生のプライド以外の何者でも無いと思っています。
このやりとりの後、しばらくは「今日は休みます」と連日連絡を入れましたが、それが「今週は、、、」になり、最終的に「行くときに連絡入れます」になりました。
学校に行きたくない子の前で、電話するのも休む話をしているのもイヤだなぁ、というのと、私自身しんどいな
、、と思ったからです。
しんどいというのは、この先生とこまめに連絡を取ったところで、何も生まれない、変わらないな、という感じでしょうか。
これ以降、長男は自宅で過ごすことになりますが、平穏な生活はまだまだ先の話です。
ちなみに、突如として学校を拒否した原因の一つ(決定打)だろう、と思われるエピソードがあります。
それは二分の一成人式の演目、合奏のパートごとのテストがあり、一人一人演奏するのですが、
「テストに合格しないと本番出さないよ」
という先生の言葉があったそうです。
そのテストで不合格をもらった長男。
友達は、なぜ長男が不合格なのかわからない、という出来だったようです(子どもの目からみての判断)。
さて、この「◯◯しないと△△できないよ」は学校だけでなく、家庭など身近なところでも聞いたり、言ったりしていませんか?
大人からすれば、
ご褒美に向けて頑張るだろう、という発破だと思います。
まぁ、一つの方法ではあると思いますが、、、、
長男のテストの場合、、、、学校の中のことなので親である私はどんなやりとりがあったのかわかりませんし、数年経って、ママ友から聞いた話なので、想像の域を越えないのですが、
「不合格」となったとしても、どこをどうすれば合格になるのか、といった具体的な指示があったらもう少し結果は違っていたのかな?
それでも・・・・きっと本人にしてみれば、がんばってがんばって・・・生活していただろうから、遅かれ早かれ、同じ結果になっていたのかもしれない。
そんな風に、「たら」「れば」を考えても、過去は変えられない。
でも、何かが変われば、未来は変えられるかもしれない。
苦しいときにはそう思えなくても、そこを越えたときにはそう思えるはず。
そのためにも、過去に執着するのではなく、未来を明るくするためのステップとして考えて欲しい。大人は細々とでもいい。子どもを知るための学びをし、同じ境遇の人たちと出会い、多くの仲間がいることを知って欲しい。
そう思うのです。