見出し画像

3兄妹の不登校生活 振り返りと今 #1 長男帰宅したくない事件

さて、書き出しの一歩を、、、、と思いましたが、何を書いていいのやら・・・
三人三様、そこに私のありようもあり・・・・

なので、まずは、長男をご紹介。
※最終的には、親の自分を客観視できず、人を頼ることができなかった私の失敗談です。

ただ今中学三年生。
学校に通って無くても受験生です。

私にとって、初めての出産を経てやって来た長男。
仕事も辞めて、子育てとがっぷり四つに組んでいました。
買い物がてら散歩、スタバでおやつして私も息抜き。
ありがたいことに、長男はお店で大騒ぎしたりしなかったので、できたこと。
時間はたっぷりあるので、車であちこち公園めぐりしたり、買い物に出たり。
日中の話し相手は、おしゃべりもままならない長男に。
ほぼ、声を荒げることもない子育て時代。

子ども1人とは言え、なんだか良い感じだなぁ、、、まだ余裕あるなぁ、なんて思っていたはず。

それが一変するのが、3歳の頃。
長女がお腹に居る頃「おんなのこだねぇ」と呟いた長男。
本当に女の子が生まれ、長男はお兄さんになりました。

里帰り出産でしたので、長男は慣れたばあば宅でお留守番。

私は産前から産後1ヶ月まで実家生活でのんびり。
親に甘えっきりの生活でした。
いざ、自宅に戻り、長男とも合流し、初めての2人の子生活がスタート。

外ではまだ余裕な顔をしていまいたが、自宅では・・・・・
長男は妹をかわいがりたいだけ、だったはず。
でも、私の精神状態は余裕無く、ほんの少しでも妹に手を出そう物ならひどく叱りつけ、手を叩き、なんなら叩き直すぐらいの事をしていました。

今思い出しても泣けてきます。

そして、この体験が、末っ子誕生の際、長男が「ばあばんちから帰りたくない」と言うことに繋がっていると思います(推測ですが)。

末っ子の出産は、長男が幼稚園に通い始めていたため、里帰りはせず、近くの産院での出産となりました。
出産直前まで一緒に生活し、今度は義母宅に産後の私、長男、長女もお世話になることに。
末っ子の1ヶ月健診も終わり、自宅に戻る、となったとき、先ほどの「ばあばんちから帰りたくない」になるわけです。

私も妹たちのことがあるし、すぐ帰ってくるだろう、と思い、義母にお願いします、と預けて帰りました.
ちなみに義母宅と自宅は車で10分ほどの距離。
まぁ、近いのです。
それもあって、預けて帰ることにはそれほど抵抗がなく。
幼稚園の送迎も甘えっぱなし、園の保護者会やイベントには私が行き、そこで長男の姿を見て・・・・。

そんな日々がいつ終わるのかもわからず、私の心は長男から否定されている気持ちに占領され、、、、なかなかに辛い日々。

当時は、「向こうがあなたの家なのに」と長男に言ってしまい、それを義母に指摘され・・・。
義母と電話で話しても「お母さんがどーんと構えてないとダメでしょう!」と言われ、「そんなこと言われても、できないんだ!どうしたらいいんだ!」と心の中で叫ぶものの言葉にできず・・・・。

うーん、今思えば、きっと劣等感みたいなのもあったと思います。
義母は、私とは全然違うタイプでして、何でもきっちり、しっかりやる、できるタイプでして・・・・。
実母とは違うタイプで、近くに住むし、良く思われたい、みたいなのもあったと思う。
私自身でも「お母さんとして、こうありたい!」みたいなのがあったけど、それができない、理想と現実の乖離みたいなのもストレスであったりして・・・・。

あと、自分の気持ちを表現する、伝えるのが苦手というのも・・・。
私自身が人に「助けて」を言えない人間だ、というのも長男を追い込んだ原因の一つかと。
子どもの頃から「自分のことは自分で」と育てられ、人を頼ることよりも、自分で何とかする、みたいなところを強化されてきたらしい。
らしい、というのは、数年後に実母が我が家の状況を見るに見かねて足繁く通ってくれたときに「自分のことを自分でやれるように、と育てた私が悪かったね、ごめんね」と口にしたことで知ることになるわけです。

当時は自分を客観視できていなかったし、自分を客観視する、ということは頭になかったように思います。

なかなかにギリギリの心でしたが、自宅では2人の子どもと向き合い、帰ってこない長男のことも気がかりで、、、。
長男は末っ子誕生から3ヶ月後に、ばあばの説得でなんとか自宅に帰宅して、自宅に1泊してくれて・・・・。

・・・・と、ここまで過去を思い出しながら書いていたが、時系列や出来事の確認をしようと幼稚園との連絡ノートを見てみたら・・・・・

「妹の産後に手をあげたことが帰宅しない原因かともんもんとしていたら、長男としては「自宅は狭いからイヤ」だったので、私としてはホッとした」

と書いていた。

そうか、私が思っていた原因ではないらしい、ということをすっかり忘れていた。
それだけ、私にとってのトラウマなんだろうな。

さて、すっかり長くなってしまったのですが、
幼稚園との連絡ノートには

8日(長期出張に出ていた)父親が久しぶりに帰宅。
13日(日)には今まで入らなかった自宅に入って楽しく過ごし、流れで夕食、風呂まで過ごしてばあば宅へ。
18日(金)翌日からお出かけなので自宅泊。
19日〜20日マザー牧場で一杯遊ぶ
21日風呂まで済ませてばあば宅へ
22日、23日自宅泊

とありました。

その月末、風呂上がりに
「ぼく、ずっといえにいるよ」
と一言長男が口にし、7ヶ月に及ぶ親子別居生活が終わりました。


その晩、あまりにほっとし、ばあば宅に連絡を入れぬまま自宅で過ごしていたため、ばあばは「帰宅したい孫を無理矢理自宅に居させてるのではないか?!」と心配させ、一悶着。
この日旦那がいて良かった。
私が電話応対していたら、あわあわして話せなかったかも。


さて、不登校生活の不の字もない、幼少期の長男のお話でした。

世のお母さん、お父さんも、まだ親になっていない人も、自分を客観視すること、周りの人に「助けて」「大変なの」とこぼして周りに頼れる人になれたらいいなぁ。
特に、乳飲み子〜幼児期の子育てって大変だもの。
人に頼りにくい人は、相手に遠慮しちゃうから言い出しにくかったりするのかも。(自分のことを言葉にするのが苦手なのもあるかもね)
でも、相手に遠慮したばっかりに、あるいは気持ちを表現するのが苦手だからと口にしないばっかりに、自分や子どもが辛い思いをするくらいなら、ほんの少し勇気をだして「手伝って」と声を出してみて欲しい。

今でも人に頼るのは私も苦手だけど、一緒にいる仲間が「この人は頼るのが苦手」と知っているので、ちょっとだけ口に出しやすい。

自分の苦手を、周りの人に伝えるって言いにくいかもしれないけど、言ってしまえば、知ってもらえば周りの人は自分をサポートしてくれる人になる。

その関係がお互い様になれば、人を頼りやすくなるかな。

そうなったらいいな。


いいなと思ったら応援しよう!