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3章【成功の哲学】スティーブ・ジョブズの人物評


3-1: 単なるシンプルではないシンプル哲学

 ジョブズの成功の秘訣は何だったのだろうか。それを知るには改めて彼の根本的な人間性を探る必要がある。

 彼の哲学の中核には禅の世界がある。そしてその根源には死を思うことがある。2005年スタンフォード大学の卒業スピーチで、彼が最後に話したストーリーは“死”についてだった。

 今日、死んだならと考えると、ムダなものが消え本当に大切なものだけが残る。自尊心や恥でさえ消え、失うものは何もないという自由が得られる。

 ジョブズは大体こういうことを言ったのだが、これにはすべての無駄をそぎ落とす禅の教えの影響も感じられる。

 ジョブズは経営・製品開発の両面でシンプル哲学を徹底的に貫いた。それは数少ないものだけにエネルギーのすべてを集中することでもある。

 1990年代後半Apple社に返り咲いたとき、彼は製品戦略において「消費者」「プロ」「デスクトップ」「ポータブル」の4つだけに絞れと訴えた。

 伝記の中、当時Appleのデザイン部門のトップだったジョニー・アイブは、大体このようなことを言っている。

 何事もシンプルにするには深く掘り下げねばならない。製品の本質を理解しなければ、不可欠ではない部分を削ることはできないのだ。

 アイブのこういった指摘はジョブズのシンプル哲学の核心をついている。

3-2: 鋭い直観をもたらす豊かな経験値

 単に浅はかなシンプルさはすぐに見抜かれてしまう。ジョブズのシンプルさは賢明さに裏打ちされており、呆れられることも飽きさせることもない。そして、ジョブズのシンプル哲学は優れた直観力に支えられている。

 直観、つまりその本質や真価や真実を瞬時に見出す能力とは天賦の才能だと誤解されることが多い。

 ジョブズの場合、禅の瞑想やLSDなどのドラッグ体験なども、その能力を引き出す助けになっただろう。あるいは後述もする、天才脳・サヴァン症候群にも通じる脳もそれを後押ししたはずだ。

だが一番に直観力の助けとなったのは好奇心だったはずだ。

 多くが行き交う交差点に立つジョブズは、境界なくあらゆる世界に興味を抱く。その中で、彼は幅広い経験値・情報ベースを得ていた。それは勉強ではなく冒険の旅といった方がいいだろう。

 ジョブズの直観力は膨大な人生経験をハードウェアにした優秀な認識ソフトのようなものだ。そこに合理的な道筋はない。ただ、そこには確実に優れた合理性が隠れており、それを見つけるのは学者など別の人の仕事である。

3-3: 発明家と表現者のクロスロードに立つ男

「ジョブズは何も発明していないじゃないか」

とは、世界中でよく言われることだ。ビル・ゲイツなどは「彼はただのスーパーセールスマンだ」とバカにしていた時期もあった。確かにジョブズは発明家ではない。また彼自身も認めるよう、よく画期的な技術を盗んだ

 最も有名な強奪は、AppleⅡの技術ベースにつながったゼロックスの研究所・PARCでの強引な視察である。

 Apple社内でも、技術発案者はほとんどの場合、社員である。あの指フリックで画面が自然に上下に流れるタッチパネルの慣性スクロールにしても、ある元気な若者がジョブズに直接売り込みに行ったトンデモ技術だった。

 ではジョブズは何をやったのか。その答えはジョブズの最たる存在意義、つまりは多くをつないだということになる。

 伝記『スティーブ・ジョブズ』で著者アイザックソンが指摘するよう、着想と創造の間には大きな闇がある。さまざまな新しい技術が並んだ状態は、まだ表現の一歩手前にある着想の段階だ。それらをどう組み合わせて1つの新たな価値を生み出すのか。

 ジョブズはそのコネクトと統合を行った者である。すべてのアーティストと同様、そのユニークな組み合わせ方こそ創造というものだ。創造の過程において、製品の元となる技術とは必要条件であり、それが表現という十分条件と重なることで1つの新たな価値が生まれるのだ。

 2015年版の伝記映画で、ジョブズの本質を突く場面があった。1つの楽器ではなくオーケストラ全体を演奏しているという指揮者・小澤征爾の言葉を引用し、ジョブズが自らも同じ立場だということをほのめかすシーンだ。

 彼はまさに、指揮者のように引いた立場からエレクトロニクス・音楽・書籍といった文化全体を自由に指揮した人物だったといえるだろう。


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