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スティーブ・ジョブズと傾いた世界(1章)


【序文】

 すべてのムダをそぎ落とし極限までシンプルにした上で、その真価を引き出す。この禅にも通じるスティーブ・ジョブズ哲学に従い、ジョブズ自身を一言で表すなら、

彼は“多くをつなぐ人”だった。

 2005年、スタンフォード大学の卒業生を前にした有名な祝辞スピーチで、ジョブズは3つのストーリーの1つ目に“Connecting Dots”、点と点をつなぐ話を披露した。それは過去の何気ない経験の1つ1つが、いつか偶然につながって大きな価値になるということだった。

  ジョブズは人生の交差点に立ち、多くのものをユニークにつないでいった。結果、Appleというクリエーティブな王国を築き、時代を丸ごとアップデートすることになる。

『スティーブ・ジョブズ』とシンプルに題されたジョブズの伝記(2011年:ウォルター・アイザックソン著)。Ⅰ/Ⅱと上下二巻、僕はこの850ページ超の大著をジョブズ10周忌イヤー前年となる2020年末に読み終えた。

 そこで当初は書評をするつもりだったが、考えを進めるうちにジョブズの人物評に傾いていった。だが、そもそも伝記とは著者やその作家能力よりも扱う人物が中心に立つものであり、そうなるのも自然な流れだろう。

 このnoteの場を借りて、主にこの伝記を元にしたジョブズの人物評を試みたい。ぼんやりとしか彼を知らない人(この本を読むまで僕もその1人だった)が興味深く読めるような、あるいは大学の卒論に挑む人へのヒントになるようなものになればと思う。

 ジョブズとは一体どんな人物で、どのように成功し、そして世界をどんな風に変えたのだろうか。だが、僕にとって最も印象的だったのは

ジョブズの秘めた大いなる闇の方だった。

 彼は多くをつなぐ人だった。が、同時に根本的なレベルで自分と他者、または自分と現実を柔軟につなげない人でもあった。そのごう慢さが彼の人生に大きな影を投げ、最後は彼自身も飲み込まれることとなる。

 それは科学がけん引する資本主義世界の典型的なリーダー像にも重なる。彼らの多くは特別な才能の代償として心の病を持ち、さらにそれを世界に転移させてきたのではないか。それが現代の傾いた世界の原因だとしたら、多くのことに納得がゆく。

 最終的に僕はそんな思いを抱くことになった。この素晴らしい伝記を通して、現代の魔法使いと呼ばれた男の光と影を見てゆきたい。


1章【スティーブ・ジョブズとは何者か】

1-1: 創造の源泉は、あらゆるものが交差する無の境地にある

 ウォルター・アイザックソン著『スティーブ・ジョブズ』(Ⅰ/Ⅱ)。この大著を読まずとも、多くの人がすでに自分もAppleという王国の一員であることに薄々気づいているだろう。何らかのApple社製品を生活必需品・ライフキットとして持っている人は、世界中で数10億人単位で存在するのだ。

 あなたが好む好まないに関わらず、Appleは今や人類共同体レベルのコミュニティ機能を果たしている。

 例えば最近、僕も手持ちのデバイスを最新のIOS.14にメジャーアップデートした。ただ、ホーム画面の目新しさに惹かれただけなのだが、これはApple王国の一員として住民票を移し替えたようなことになるのだろう。

 そんなゆかいな人類共同体を一から築いたスティーブ・ジョブズとは一体どんな人物なのか。

 一般的に彼はビジョナリー・時代を先取りする独創的な経営者と見られている。英語版のWikipediaでは第一に実業界の大御所(Business Magnate)と紹介されており、伝記『スティーブ・ジョブズ』ではアントレプレナー(entrepreneur)・創造的な起業家と記されていることが多い。だが、そういったものは表面に過ぎない。

 序文冒頭に書いたよう、ジョブズは本質的に“多くをつなぐ人”だった。立ち位置は世界の中心だが、同時にそこは禅にも通じる何もない無の世界。

だが、そこは目が回るほど

多くの人や物がすれ違う交差点でもある

 伝記でも、交差点とはジョブズの創造性の本質を突くキーワードとなっている。いきなり、そんな話は抽象的でついてゆけない人もいるだろう。そこでまずその生い立ちからその辺のことを読み解いてゆこう。


1-2:Think Differentの始まりは生まれ持った疎外感から

 1955年、ジョブズは誕生と共に養子に出された。

 大学院生だった産みの母は、厳格な宗教家一家のしきたりもあって、そうせざるを得なかったのだ。ジョブズは養父母の元で青年期までを過ごした。育ての両親は労働者階級ながら献身的な愛を注ぎ、早くから才能を開花させた息子に高等教育を与えた。

 だが、伝記にはジョブズが家庭の中で疎外感を抱いていたことが示されている。産みの親にはさらに冷淡であり、生涯を通じて親しくすることはなかった。大人になり成功したジョブズがたまたま実父の経営するレストランに行き、食後の記念撮影に応じながら、お互いに気づかなかったという驚くべきエピソードがあるほどだ。

 生まれ持ったその疎外感は、アメリカ、あるいは合理主義に徹する西洋文明にも向けられた。生まれた国にも、ここは自分の居場所ではないのではと疑いを向けていたのだ。

 70年代のヒッピー文化もその懐疑心を後押しし、ジョブズは大学中退後、19歳でインドを旅することになる。そしてそこでスティーブ・ジョブズの人生において最大の出会いが待っていた。

それが禅である。

 気性が荒く激情家だった彼は悟りこそ開かなかったが、禅の哲学は生涯、貫き続けたといえる。36歳の結婚式の執行者は、アメリカ在住の禅の師匠・知野弘文だった。

 瞑想を通じてあらゆるムダをそぎ落とし、1つのことに最大限に集中してインスピレーションを得ること

 マックやiPodなどのAppleプロダクトは、まさに禅のアプローチから生み出されたものだともいえる。

 そして、この禅マインドは、あらゆるものがすれ違う交差点・つまり世界の中心に存在する。生まれながらに疎外感を抱いていたジョブズは、二十代の前半でそこに居場所を見出し、生涯そこを離れなかったといえる。

「Think Different」とはApple哲学を表すには最も適格なキャッチコピーだ。その違うことへの思考もまた、あらゆるものが境界なく交じり合う禅のクロスロードから始まっていると言えるだろう。


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