5章【ジョブズの大いなる闇】
5-1: 共感力の欠如がもたらした非情なエリート主義
この世に完ぺきなものなどないというのは、もちろんスティーブ・ジョブズにも当てはまる。
ちなみに彼もこの誰も否定できない真理を好み、Apple製品の欠陥報告において謝罪回避のために利用したこともある。
ジョブズには大いなる闇がある。その出所は、人類共通の罪悪ともいえる、ごう慢である。彼は実際の自分よりも膨張したプライドを抱えていた。
ジョブズのごう慢さ、その非情なエリート主義は、彼のビジネス哲学であるとともに彼の業でもあったのだ。2015年版のジョブズの伝記映画では、この大いなる闇が徹底的に描かれている。
そして、ごう慢さとは常に共感力の欠如とセットになっている。フィッツジェラルドの名著『Great Gatsby』の冒頭には、大抵の場合、人の愚かさとは不遇の環境からくるものだとして他者への寛容さが訴えられている。
だが、この点でジョブズはゼロ・トレラントである。世の中には天才かバカかのどちらかしかないと見て、愚かな人を容赦なく叩く。
伝記『スティーブ・ジョブズ』にはこういう例が山ほどある。ここには決定論者的な世界観も垣間見える。つまり人は生まれながらにして天才と凡人、または勝者と敗者に分かれているという考え方だ。
5-2: ジョブズもまた天才ではない
多少の能力差はあれど天賦の才を持った者などはこの世に存在せず、ジョブズもその例外ではない。
彼は養子に出された労働者階級の出身であり、それが20代のうちに社員4,000人を抱える会社CEOになった。とくれば、誰もが彼を天才だと思うだろう。だが、その中身をよく知れば話は変わってくる。
ジョブズの育ての親は学歴も経済力もなかったが、息子への情愛だけは人一倍持っていた。彼を一流の人間に育てるため、ほとんどのお金をその教育費に充てた。
また世の多くの庶民的な家庭とは違い、子どもの才能を過小評価することなく、ほめたたえることで思い切りプッシュした。
さらにジョブズは当時から最先端のテクノロジー関連会社が集まるシリコンバレー育ち。近所に住むエンジニアから知識を吸収できた。
また近所のHP社やゼロックスは若者の教育のためにワークアウトを開催することがあり、彼もよく参加していた。中退はしたが、リード大学でも才気あふれる学友やカリグラフィーなどの学科から多くのことを学んでいる。
そして何よりももう一人のスティーブこと、スティーブ・ウォズニアックとの出会いが決定的だった。
当時はビル・ゲイツからも天才だったと称えられるほどのコンピューター・エンジニアだったウォズは、ジョブズとは全く真逆の存在だった。だが、大のイタズラ好きという共通点があったことから、正反対の2人が奇跡的にコラボすることになった。AppleⅡはそうして生まれたのだ。
スティーブ・ジョブズは、こうして人生のごく初期だけを見ても極めて恵まれた環境に育ち、幸運にも恵まれた人だったといえる。もちろん大きな自信からくる恐れ知らずの行動力が、運を引き出したとも見れる。
だが、ウォズニアックとの出会いは、純粋に幸運な出来事でもあった。
世に埋もれた才人とはジョブズと出会えなかったウォズか、ウォズと出会えなかったジョブズかのどちらかだとさえ言えるだろう。
これはビートルズのジョンとポールにもそのまま当てはまることだ。
https://note.com/20umaken20/n/n6fe25e5cfc4e
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