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私は見つけた

2019年11月の台北は過ごしやすい気温だった。日中は歩けば少し汗ばむが、夜は風が心地良い。


初めて来た台北。有名なガイドブック 地球の歩き方 を開いたり丸めてポケットに入れたりしながら歩く。

日本にいるときは、この地球の歩き方が見たことのない景色を見せてくれ、そして実際にこの目で見に行けることを考えて高揚感を感じさせてくれたが、台北に来てから開くと安心感を与えてくれた。

日本で何度も見過ぎたせいで、手に馴染じんでいたからだと思う。


この旅は初めての海外への旅だったため、日本にいるときからかなり気持ちが高まっていた。
地球の歩き方を中心に情報を集め、定番の観光地とグルメを厳選し、地球の歩き方の該当ページの角を折り込んでいった。
スマホがあるのに何だかアナログな古い記録の仕方をしている自分を滑稽に思ったが、帰国して今も折り込まれたままの地球の歩き方を見ると懐かしい気持ちになる。

そんな地球の歩き方に頼ってばかりの旅だったが、台湾を行先に選んだ理由となった2つの場所は地球の歩き方には載っていなかった。


富福頂山寺 貝殻廟

台北に着いてから一番初めに向かった場所。
ここと次に向かう場所はバスや電車では時間をロスせずに行ける自信が持てなかったため、タクシーをチャーターすることにした。

貝殻廟までは台北市内から北へ1時間30分くらいの道のり。

日本でもしたことのないタクシーのチャーターだったが、タクシーの運転手に恵まれていたと思う。

簡単な挨拶、行先の確認を済ませすぐ出発。
口数は少なく、朝食は済ませたかと食事の心配をしてくれる優しさ。
自分の性分に合っていた。

タクシーの中で計画を実行に移している実感が初めて湧いてきた。
周りは知らない景色ばかり。見慣れない看板や廟が流れる。
疑い深いかもしれないが、タクシー内で自分の位置と目的地までのルートをスマホで調べると最短距離を走っていることが確認できた。


しばらくし、街を抜け山道に差し掛かると野犬が出てきた。何故か野良犬ではなく、見てすぐ野犬と思った。2つの明確な違いが分からないが、周りの自然に溶け込んでいる野性味が自分をそう思わせた。
目的地までの山道はタクシーの運転手も初めての道らしく、頻繁にナビの画面を確認していた。分かれ道では速度を落としながら。

そして到着。

ネットでは写真も多く掲載されていてある程度知られている場所のようだが、この時は他に参拝者は1人もいなかった。近くに住宅も無さそうだし、台北の中心街からは遠い上、まだ朝早かったからだろう。

他に人がいれば、その人達に連なることで目立たずに済むが、自分から入っていかなければならない。
見ると裏口?のような入口しかない。いや出口か?
寺や神社ではいつも、そこのしきたりを守ってなるべく目立たないようにいたいと思う。
恐る恐る裏口のような出口のような狭い入口を進むと本やネットで何度か見た光景が現れた。

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本の紙面上やスマホの画面上では感じられない感情が湧き上がってくるのが旅の面白いところ。
なんともいえない、いや、まだ自分の気持ちを表現する語彙力が無いのか
こんな感じか
と心の中で呟いた。そしてここまで来られた事を嬉しく思った。

普段の日常の仕事では感じることがなかった、自分の意思で自分が望む計画を実行することの楽しさ。
実行したいことに意味を持たせなくても楽しい。何の為になるのかと問われて答えられなくてもいい。

岡本太郎が本に書いていた
人間は無条件、無目的であるべきだ。
創造することについて岡本太郎は言っていると思うが、自分なりに解釈している。

入口近くに案内してくれる人がいて、自分を観光客だとすぐに気付き参拝の方法を説明してくれた。
なかなか言葉が通じず、自分の理解不足が相手に迷惑をかけている気がして申し訳なくなった。この貝殻廟での参拝が台湾で初めての参拝だったため、台湾での一般的な参拝方法を調べておけば良かったと後悔した。

心落ち着かないままの参拝をした後、一呼吸置いて、じっくりと全てを見た。
貝殻や珊瑚で埋め尽くされた廟。どこを見ても精緻な作りだから驚き。美しい場所であった。人間の創造力にパワーを感じた。

他に参拝者が居なかったから、他人を気にする事なく時間をかけて見ることができた。
こんな時間が欲しかった。特に何かを考えたいわけでもないが、知らない場所、見たことのない景色を見たかった。そんな場所に身を置きたかった。

自分の中の何かが変わるんじゃないかと少し期待しながら。

そして周りから見ればただ突っ立っているだけの自分が廟を案内してくれる人達を仕事モードにしていると思い、そろそろ次の場所へ向かうことにした。

タクシーに乗ってから、ふとタクシーの運転手を廟の中まで誘っても良かったのではと思った。
駐車場からは廟が壁に囲まれていて中が見えない。仕事といえど、同じ時間を過ごすなら駐車場の景色より廟を見て楽しい待ち時間にしてもらいたかった。

金剛宮

貝殻廟から北へさらに約30分。
貝殻廟より有名なのではないだろうか。私が知った頃には既にいくつかの本、ネットで記事がいろいろとあった。日本のテレビでも紹介されたことがあるらしい。
そして、ここで一番見たかったのは本やネットでも誰もが取り上げていたものだ。

海が見える道を通りながら、金剛宮に到着。
途中に見えた海が、日本でよく見る海と違って見えた。海の位置以外に何が違うかは分からないが、きっと気分が違うからだ。日本に帰っていつもの海を見れば、台湾の海を思い出し、これまでとは違って見えるだろう。

整備された駐車場に停め、入口へ。今度は間違いなく入口だ。
タクシーの運転手にどのくらいで戻るかを伝えると、また駐車場で待つようだった。
ここはさっきの貝殻廟と違い、中が広く見るのに時間がかかりそうだったため、お互いのペースを守るためにも誘う気にはなれなかった。

ここでも他に参拝者がいなかった。思えば仕事の休みを取って平日に来ていたからかと今更思った。
平日の午前。台北郊外の寺。最も人が少ない時間帯だろう。

日本で情報収集をしていたとき、詳しく紹介しているネット上の記事があったが、情報が多く全ては理解できないままここへ来た。その通り、様々な宗教が混在した寺のようである。

進むと主神とされている四面仏がすぐに出てきた。
ここで案内をしてくれる人がいて参拝方法を教えてくれた。日本語の説明が所々に貼られ、観光地としての整備がされていたため、案内がなくてもある程度しきたりに則って見られる。

すると案内してくれた人が
「あなたラッキーね!」と言ってきた。
その理由は、明日、四面仏が誕生日だから今派手に飾っているところであり、この派手さを人がいない時に見られるのはラッキーよ!ということだった。
よく見ると花の首飾りが四面仏にかけられ、その周りの神様にも様々な色の花が添えられていた。
言われるまで気が付かなかった。他にも花を飾っている最中の人が何人かいた。
まだ完成前のようだったため、明日来ていればもっと綺麗で良かったかなと煩悩が出てしまったが、ラッキーだと教えてくれたことを大切にすることにした。

台湾の人は優しいと聞いていたが、そんな一面に触れた気がした。

心に他人の優しさを補充し、静かな異空間を彷徨う時間。最高である。


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そして見たかった、写真に撮りたかった神様
甲子太歳金辨大将軍

日本で写真を初めて見たとき、こんな神様がいるのかと失礼な感情を抱いてしまった。見た目の印象が強く残っている。
他の神様もそうだが、由来や意味があって創造された人間が崇める神様。そして語り継がれる教えがある。

人間の創造力に感心すると共に自分の知識不足を痛感した。

私は見つけた

鐡卵、タピオカ、九份、夜市、龍山寺…
初めての台湾、初めての海外ということもあり、この機会を無駄にしたくない気持ちが大きかった。それに加え、これから海外を写真に撮っていこうと好きなカメラを買って持っていったのもあり、撮るのに必死だった。
ガイドブックにある観光名所はどこも人が混み合っている。写真を撮る人も多い。
大勢が同じ対象物を同じように撮っている。
自分もその一人だった。
それに気付くと少し虚しくなる。
他人とは一味違う写真を撮りたい。皆が気付かないようなことに敏感でありたい。旅を無駄にしたくない…
結局自分の考えが曖昧であり漠然としていることに、帰国後しばらく経ってから気付いた。
旅の最中は他人から気に入られる写真を撮ろうとしていた。そう思って撮った写真は見返すと自分の好きな写真ではなかった。
だが、好きな写真もあった。
その違いはまだはっきり言い表せないが、好きな写真を撮ったときは旅で得た自分だけの感情を切り取ったように思う。
後で見返したときにその感情に浸れる。

自分の過去を振り返り未来を想像して、今ある瞬間を大切にするような感情

初めての海外旅行は現実逃避と承認欲求から始まったように思うが、もっと現実と向き合い、今の自分を知り受け入れることのほうが大切だと見つけた。

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石川直樹さんの著書「全ての装備を知恵に置き換えること」に
「ー思い立ったらザックひとつを背に歩き出せばいい。ー人間の生き方とは本来そのようなものではなかったか。生命は常に旅立っていく。ー」
この章を読んでこの記事を書き終えることができた。旅をしたいともがく自分を後押ししてくれる文章である。

旅の記憶と感情は変遷していく。この台湾の旅も数年後見返せば違って見えるかもしれない。
どんな感情を抱く自分がいるか、そんなことを楽しみにしながら次の旅を探している。

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